川崎市民ミュージアムがあるのは、JR及び東横線の武蔵小杉駅からバスで行く等々力緑地だが、この東横線武蔵小杉付近には、戦時中から戦後のある時期まで、「工業都市」なる駅があったそうだ。
今の東横線駅よりは新丸子寄りの、中原街道ガード付近だったらしい。
戦時下に軍需工場が出来、工員の通勤用に駅が新設され、なんとも無粋な「工業都市」という駅になったのだそうだ。
だが、戦後元住吉方向に移動し、JRの武蔵小杉駅と一緒にされて駅名も変えられてしまった。
さらに、その工場のオーナーは、英米の推理小説等を多数翻訳した宇野利泰氏だったのだそうだ。
工場とは、つい最近まで大工場があったNECの前身だろうが、そこまでは良く分からない。
宮田昇氏の『戦後翻訳風雲録』(みすず書房)に出ていた。
クマさん、知っていました?
コメント
Unknown
かなり過去の投稿に書き込むことをお許し下さい。
貴殿の書き込みにはかなり誤認があります。
まず、工業都市駅の位置ですが、「新丸子寄りの、中原街道ガード付近」ではなく、
「元住吉寄りの、府中街道ガード付近」です。
また、「戦後、元住吉方向に移転」なんて事実はありません。ご訂正頂ければ幸甚です。
よくわかりました
まず、中原街道と府中街道を間違えていました。
府中街道と交差するガードのところあたりに「工業都市駅」があり、今の小杉駅のところに「グランド前駅」があり、工業都市駅がなくなって、グランド前駅が武蔵小杉駅になったのですね。
ご指摘ありがとうございました。