『史上最大の作戦』

1962年に公開された20世紀フォックスの戦争映画。題材は、1944年6月連合軍によって行われたフランス本土へのノルマンディー上陸作戦で、総指揮官はアイゼンハワーで一度だけ出てくるが、主人公はそれぞれの隊の中堅クラスの将兵であり、この辺は「民主的」だと言える。

日本の戦争映画は、山本五十六、乃木将軍など、偉い人の話がほとんどで、下層の将兵を主人公にしたのは、笠原和夫の作品くらいだろう。それは、笠原和夫自身が大竹海兵団にいて、辛酸をなめた体験からである。彼の本によれば、海軍はほとんど泥棒集団だったそうで、日々他の集団のものを泥棒してくるものだったそうだ。

原題は『一番長い日』で、コーネリアス・ライアンの原作は読んでいないが、膨大な調査から書かれたノン・フィクションで、多分相当にエピソードは減らしてあると推測される。

当初は、フランスの抵抗組織の連中とドイツの占領軍との話で進行する。

この辺の、アメリカだけの成功話にしないのは、欧州での公開のためと、当時の欧米は、アメリカの下にあったが、それでもソ連に対抗するため、全部の国で連合していこうという意思があったからだろう。今のトランプの愚かな「アメリカ・ファースト」とはレベルが違う。

ロンメル将軍が来て前線を視察し、問題点を指摘するが、その予言の通り連合軍は上陸作戦を膨大な物量で実施してくる。

ドイツ軍は最後まで上陸地点が分からず、イギリスに一番近いカレーだと思っている。

雨が続く中、イギリスの海岸に待機している将兵は、じりじりとし、いつでもいいからと出撃命令を待っている。その中では、リチャード・ベイマーが、カードの賭けで大勝するが、恋人から別れの手紙とネックレスをもらう挿話が光っている。

ロバート・ライアンやジョン・ウエイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・ホンダも、さらにポール・アンカも出るが、最後のタイトルで、ずらっと名前が出た後、「アンド・ジョン・ウエイン」と出るように、なんといってもこうしたアクション大作は、彼がいなくては成立しないのだ。

ついに命令が下されて、まずぐライター部隊がフランスに降りる。グライダーで飛ぶのは音をさせないためで、まだ夜明け前で、まさに一番長い日が始まる。

連合軍の上陸をフランス側に知らせる暗号がベルレーヌの『秋の歌』の2節目であるのが面白い。「秋の日の、ひたぶるにうら悲し」だが、中学で国語の教師が、あるところで、「このひたぶるに の意味は何だ」と問題を出したとき、「額に手を当てたらぶるっとした」と答えた奴がいたが違うよと言ったことを思い出した。彼は、当時は自宅で学習塾をやっていたので、そこでのことかと思うが、当時教師の副業は結構あったものである。

この空挺部隊は結構失敗があるが、目標の橋の近くに行き、橋に隠されたドイツ軍の爆薬を取り外すことに成功し、フランスの連中は海岸に向かうドイツ軍側の列車を転覆させる。

ジョン・ウエインの空挺部隊、さらにロバート・ミッチャムらもLSTで次々と海岸に上陸するが、これは大変に苦戦する。

彼は、葉巻を銜えながら部隊を指揮し、次々と様々な手管を使って上陸を進める。これを見て意外に思うのは、上陸前の艦船からの艦砲射撃が大してしないことで、上陸の苦戦は、これによるもののように思える。恐らく、こうした艦砲射撃の不十分さを検討し、翌年の沖縄の上陸作戦では徹底的に砲撃したのだろうと思う。また、ここではフランスの抵抗勢力の存在もあり、彼らへの配慮もあったのだろうと思う。

ドイツは初期の上陸地点の予想の誤りから、大動員ができず、後手後手に回り、ついにはジョン・ウエインの上陸、侵攻になってしまう。

音楽はモーリス・ジャールだが、最後に流される主題歌はポール・アンカの作曲。老若男女の興味を引くように作られている。

この作品の製作はザナックだが、実際はエルモ・ウィリアムスで、この大成功で彼は、日本軍の真珠湾攻撃を描く『トラ・トラ・トラ』を企画し、黒澤明に監督させるが、撮影のトラブルから黒澤は監督を下ろされることになる。

この映画を見ても、エルモは、戦争アクション大作を作るのが目標で、黒澤明のような、そこに何かの意味を込めようとする意図はなかったので、いずれどこかで彼らは衝突したと思われる。

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コメント

  1. より:

    黒澤が作ったならば、また違う面白い作品になったと思いますが、戦前は、軍人になって戦争に行く事が、出世の道であり、また、「男を上げる」場所となったと思います。黒澤が徴兵忌避から、心に思い悩んだのは、アンフェアな方法に対して、「男としてどうか」という事でしょう。世界的な映画監督として名声を博しながら、個の男としての生き方を問い続ける、というのは、武士道でもあると思います。