「滝山コミューン」とは、東京東久留米市の滝山団地を学区域とした東久留米市立第七小学校で、1970年代初頭に行われていた「集団的生活指導」方法を、作者の原武史が命名したものであり、特別そのような社会集団が形成されていたわけではない。
それは、旧ソ連の集団主義による社会主義社会建設に基づく教育指導方針で、日本では全生研(全国生活指導研究協議会)によって指導・実施され、現在でも行われているようだ。
主人公の原少年は、その集団主義の息苦しさから、鉄道趣味と中学受験へ逃避して行き、コミューンの実践部隊だった5組への反発と反抗を繰り返す。
児童委員の選挙がまるで本物の選挙のように行われ、5組の事前運動や票固め作業、選挙活動にも原少年は鋭く反対して行くが、ことごとく敗れる。
そして、ドラマが頂点に達するのが、夏休みのキャンプである。
だが、そこでの最終日の夜のキャンドル・ファイヤーには、原少年も感動する。
夜の闇にゆれ燃える炎、子供たちの演劇的な台詞、そして教師の総括の言葉、まさに演劇的な一夜である。
まるで、それは映画『意思の勝利』で描かれたナチス党のニュールンベルグ大会のように見える。
だが、東京の郊外の小都市で行われていた集団主義的学級指導は、確かにソ連に起源を持つものだとしても、左右を問わず多くの権力者が好むものである。多分、戦時下の日本の小国民教育も同一である。
その意味で、作者が抱いた孤立感は、多分どこの小学校にいたとしても彼が抱いたはずの孤立感であり、それは周囲の問題と言うより、多分に彼自身の気質から来るものだともいえるかも知れない。
その証拠に、彼は塾通いの成果として慶応普通部、つまり慶応中学に入学するが、そこでも富裕な生徒ばかりの学園にはなじめず、早稲田大学に進学する。
つまり、どこに行っても、いても必然的に彼が抱く孤独感は、彼の資質的なものだとも言えるのだろう。
いずれにしても、このような強い集団主義的生徒指導が行われていたことには少々驚かざるを得ない。
だが、すでに50代になった、その後の生徒らの状況から見て、実際には教育方法の影響は多くの者には、ほとんどなかったとは、これまた驚きである。
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