ソングライターとしての森鴎外

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今年、横浜は「開港150周年」だが、100年前の1909年、明治42年も「開港50周年」を祝っている。このとき開港50周年を記念して作られたものが、中区の横浜開港記念会館と「横浜市歌」である。
横浜市歌は、作詞は森林太郎・鴎外、作曲南良衛で、詩は難しいが、結構歌いやすく、市民に大変親しまれている。

その理由は、当時としては珍しかったと思うが、鴎外の強い希望で曲を先に作り、鴎外はその後に、詩をつけたからなのだ。
言わば、1960年代後半以降、今日のニューミュージックの曲つくりと同じ方法だったのである。

外国文学の翻訳のみならず、海外の文化、音楽にも造詣が深く、日本語が音楽に乗りにくいことを熟知していた森鴎外だけのことはある。
横浜開港資料館が出した『横浜の近代』(日本評論社)に載っていた。
これからは、鴎外の知恵に大いに感謝して市歌を歌うようにしよう。

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