『新・夫婦善哉』

森繁の死去を私一人で追悼し、BSでやった『新・夫婦善哉』を見るが、やはり抜群に面白い。
この森繁久弥と淡島千景の愚かしい関係、腐れ縁が凄い。
腐れ縁映画と言えば、成瀬巳喜男の『浮雲』となるが、これも大変なものである。

前作と同様、船場の大店是康商店から勘当され、淡島のヒモの暮らしをしている森繁は、相変わらず女遊びが絶えない。
淡島は一人で料理屋をやっている。
原作は、織田作之助のほか、上司小剣の『鱧の皮』も入っていて、大阪の下層の庶民の姿がよく描かれている。
料理屋で、昔の番頭の田中春男と会い、言い争いになった後、森繁は善哉屋に入る。
と、縦琴の流しが来て、『船頭可愛や』を歌う。また、夏ののんびりした盆踊りも見せる。
この庶民的芸能の知識は、豊田四郎や渋谷実、あるいは市川崑らの作家は確かなので、見ていて濃くがある。
森繁は、若いフラッパー娘の淡路恵子を追いかけ東京に行く。
多分、千住あたりの東京の場末で、アパートの1階の辻伊万里は、朝鮮人夫婦である。
そこに、淡路の兄という、ヒモの小池朝雄が来る。
3人の奇妙な関係も大爆笑もので、夏の夜、森繁と小池が、アイスクリーム・カップの内職をするのも笑える。

いっとき、森繁は娘中川ゆきの婚礼に船場に戻る。妹八千草薫の婿養子山茶花究からは、さんざ嫌味を言われるが、このコンビのやり取りも絶品。
別れの際に、中川から「立派な人になってな」と言われる反語精神。
最後、森繁は、安房鴨川で、養蜂を本気にやると決め、淡島も一生離れられないことを確認して終わる。
この二人の愚かしさ、滑稽さ。
時代は、昭和12年で、戦争に向かって船場も変わり、「バスに乗り遅れるな」と言われつつあった時代である。
だが、そんな時代の動向とは一切関係なく、「庶民は愚かしく女と男の生業で生きていくのだ」という豊田四郎の目である。
彼も、戦時中は『大日向村』や朝鮮映画『若き姿』などの時局便乗的作品を撮った。
そうしたことへの反省が、戦後の豊田四郎の庶民映画にはあるのだと私は思う。
是非、森繁追悼特集で放送してもらいたい作品の一つである。

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