共栄圏の『愛国行進曲』

川崎市民ミュージアムで、日映の『セレベス』と当時の日本ニュースを見る。
中身は、極めて学術的なもので、インドネシアのセレベス島、現在のスラウエシ島を1943年の1年かかって撮影したもので、以前日本テレビでやっていた「素晴らしき世界旅行」のような、いわば文化人類学の映像版である。
文化人類学は、もともと西欧でも植民地学として始まったもので、日本が太平洋戦争中の大東亜共栄圏設立のために現地を研究したのは、同じものと言える。
監督は、ナレーターもやっている秋元憲だが、撮影は 日映の本間金資のほか、小倉金弥、前田実の名もあり、彼らは東宝と東宝航空教育資料製作所のスタッフである。何か軍の映画の撮影の序に手伝ったのだろうか。

スラウエシ島は、インドネシアでも秘境とされていて、昔ジャカルタに行き、映画館で現地の映画を見ると、インドネシアの怪獣映画の予告編を上映していたが、怪獣は『モスラ』のインファント島のように、スラウエシ島から出てくるのだった。

中で、一番興味深かったのは、現地人に日本の歌として、『愛国行進曲』を憶えさせていること。やはり、名曲と言うべきなのだろうか。
山中の民族トラジャ族に演奏させているのが、録音されている。
また、マサッカル市の小学生にも歌わせている。
音楽は、戦後は左翼となる大木正夫で、しばしば『椿姫』の前奏曲に似た悲壮なメロディーが流れるのは、彼が戦争の行方を悲観視していたのだろうか。

この『愛国行進曲』については、戦時中に音曲師・橘屋円太郎と言う人が襲名披露を大塚鈴本亭でした。
そのとき、最後に『愛国行進曲』に合わせて踊った。
そして、
「見よ東海の空あけて・・・」から最後に「金鳳無欠揺るぎなき」と言うところで、尻をまくって毛だらけの汚いケツを見せたそうだ。
観客は唖然とし、
そこにいた花柳章太郎は、「襲名披露でやることじゃない!」と怒って立って帰ったそうだ。
小沢昭一のCDに出ている話である。

日本ニュースでは、セレベスに関係したものが4本上映された。
もう1942年以降なので、緒戦のセレベス大空襲以外は、南方便りが多く、あまり華々しいものではなかった。
実際は、敗戦中だったが、日本側にはフィルムがなかったからだろう。
大島渚が言うように、敗者は映像をもてないのだ。

セレベスへの落下傘による空襲のところでは、音楽はワグナーの『ワルキューレ』だった。
以前、コッポラの『地獄の黙示録』のとき、大岡昇平が日本でも落下傘攻撃には『ワルキューレ』を使ったと書いていたが、これだったのだ。
その他、ロマン派の前奏曲やオペラ、バレー曲等の西洋音楽のオン・パレードだったが、結構上手く選曲していると感じた。
大東亜共栄圏も、音楽は西欧的にするしかなかったのだろう。

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コメント

  1. ものぐさ太郎 より:

    間違いさがし。
    昇平です!!

  2. さすらい日乗 より:

    ありがとう
    わがご尊敬する大岡先生のお名前を間違えてはいけませんね。
    直します。