自慢ではないが、試写会で映画をみたことがほとんどない。
唯一みた作品の一つが、この1959年公開の『コタンの口笛』である。
多分、石森延男の原作は有名な児童文学で、主演の久保賢(現山内賢)も同世代だったので、興味を持ち、姉が申し込んでくれたのだろう。有楽町の東京宝塚劇場で見たと思う。
勿論、詳細はまったく憶えていないが、久保少年が意地悪な同級生に「アイヌとは血が違う」と言われ、
「本当に違うか、血を出してみよう」とナイフで自分の指を切って赤い血を出すところのみ。
脚本橋本忍、監督成瀬巳喜男、音楽は北海道でまじめな映画なので、勿論伊福部昭、タイトルに歌声が聞こえるが、これはアイヌ語で歌っているらしい。
中学生の久保賢は、アイヌの村のコタンに、父親森雅之、姉幸田良子と住んでいる。
和人だった母親は死に、米軍キャンプの労働者として働いている森は、いつも酒びたり。
飲み屋の夫婦は、佐田豊と中北千枝子といういつものおなじみさん。
生活は最底辺で、コタンの者は、みな同様のレベル。
隣の家は、おばあさんの三好栄子(刺青を口の周りにしている)と孫の水野久美の家族。
水野は、工場で働き、バレーを習っている。
善良な校長志村喬の息子久保明と付き合っている。
中学校の絵の先生は、宝田明で、アイヌの小学校の先生の土屋嘉男らは、久保賢らをやさしく見守ってくれる。
だが、三好が水野と久保明との仲を早とちりして、志村に「水野を嫁にもらってくれ」と言いにいったことから、齟齬が生じる。
このとき、志村が婉曲に断ったのは、きわめて微妙で、単に急な話で驚いたのか、日頃は差別をしないと公言している人間も自分の子供のことになると、やはり差別してしまう、ということなのかは不明。
三好は、このことから落胆し、寝付いてしまい、死ぬが、コタンのみなによって手厚く葬られ、これは最後に関係してくる。
最後、森は米軍キャンプが閉鎖になってクビになり、樵になるが、倒木の下であっけなく死んでしまう。
すると、白老に住んでいる森雅之の弟の山茶花究が来て、「この家は俺のものだ」と家を処分して、幸田良子と久保賢は町に住み込みで働きに出て行くことになる。
全体としてみれば、戦前の『綴方教室』から続く貧困家庭ものである。
このころになると、多くの都市では、貧困がなくなりつつあったので、北海道のアイヌにまで行ったということだろうか。
和人、アイヌにもさまざまな人がいることをきわめて公平に、また問題を描いていて、すごい。
反差別映画としては、最上の部類だろう。
さすが成瀬巳喜男である。
フィルム・センター