エディー・フィッシャー、死去


新聞には、あまり出ていなかったが、歌手のエディー・フィッシャーが先週亡くなった、82歳。
『シンディー』や『オー・マイ・パパ』等のヒット曲で有名だが、なんと言ってもエリザベス・テーラーと結婚、離婚したことが一番の履歴だろう。
女優のキャリー・フィッシャーは、彼とデビイ・レイノルズとの間の娘である。

1988年の11月、トロントのホテルで、彼のディナー・ショーを見たことがある。
なぜトロントに行ったかと言うと、パシフィコ横浜での「サミット開催」の調査だった。
当時、「パシフィコ横浜でサミットをやりたい」と言うのが、高秀市長の方針で、その調査に、当時パシフィコ横浜の若竹馨部長、長田徹也常務と一緒に行ったのである。
若竹さんは横浜市役所では、知らぬ者のない大技術屋であり、長田さんは、日本開発銀行で役員を務められ退職後、パシフィコの常務になられた方と、二人ともとても偉い方なので、私は添乗員だった。
トロントで、国際会議場等のヒアリングを終わった夜、若竹さんとホテルのディナー・ショーを見た。

客は中年以上のカップルなので、さすがにエディーは有名で、歌の他、トークも上手くて、とても受けていた。
トロントは、言うまでもなくカナダで、当時州法で飲食店に女性が侍るのが禁止されていて、「ここはいいところだが、健全すぎて夜がつまらなくて困る」と現地のJNTOの駐在員が言っていた。
だから、トロントに駐在している日本人は、数ヶ月に1回は、ニューヨークやシカゴに遊びに行くのだそうだ。
夜が健全というのも誠に困ったものである。
トロントには、CNタワーというテレビ塔があり、当時世界一の高さで、日本の今話題の東京スカイ・ツリーは、これにとてもよく似ている。
まあ、高層建築物を経済的、合理的に設計するとみな同じような形になるらしいが。

その後、シカゴ、さらにテキサスのサン・アントニオのコンベンション施設を視察して戻った。
調査結果は、「勿論サミットは十分に出来る」で高秀市長に報告したと思う。
あまり記憶にはないが。
こうした長い積み重ねの上に、来月の横浜でのAPEC開催もあるのですよ、今の担当の方々へ。

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コメント

  1. 弓子 より:

    指田様は良いお仕事を沢山されたのですね。

    エリザベステーラーがエデイフィッシャーと離婚して数年経ての回想で
    あの結婚はミステークだった。とこたえたそうで、
    同じ言葉をスザンヌプレシュットが言っていたのがおかしかったです。

    古本屋さんで買った映画雑誌で
    今上陛下がイギリスの戴冠式にお出ましの後
    ハリウッド撮影所にご見学されたレポが載っていました。

    デビーレイノルズが日本語で陛下を歓迎される旨のスピーチを
    一生懸命、練習している姿にレポ記者がでくわし

    ドキドキしているの。アドバイスして下さらない?

    と言われ、記者がアクセントの違いを何カ所か言いなおしたら
    デビーがクリアーして確認してもらっていた様子が載ってました。

    それから、やはりスタジオ前にて
    いがいや、いがい、8等身美人のミスユニバースの伊東絹子と
    陛下のツーショットも載っていて、ビックリしました。