『踊子』

原作永井荷風、脚本田中澄江、監督清水宏で、主演は淡島千景、京マチ子、船越英二の大映作品、1957年である。
浅草のレビュー小屋のダンサー淡島とバイオリン弾き船越夫婦のところに、淡島の妹の京マチ子が田舎から来る。
京は、その恵まれた体と踊りの才能を認められ、小屋のダンサーになり、様々な男との遍歴を重ねて行く。

そして、1年後に京は妊娠してしまう。その相手は、船越、さらにダンス教師の田中春夫、さらに大学生の誰もか、結局分からない。
子供が生まれ、船越との関係も知っても、淡島は結局子供が出来なかった自分たちの身代わりとして、その子を育て、また20代も過ぎた二人は、浅草から船越の故郷の寺に引き込み、付属の幼稚園で働くことになる。
京は、子供を生んだ後、浅草をやめ、向島で芸者に出るが、すぐに工場主の二号になり、芸者も辞める。
そして、しばらくぶりに淡島のところに京が来る。
すでに工場主とも別れていて、京は自分の子の顔も見ずに去って行く。

庶民、特に下層の人間たちが蠢く姿を描いた映画だが、脚本の田中澄江、監督の清水宏も、こういう風俗劇が得意ではないので、流れにメリハリがなく面白さがない。
こういう劇が得意の豊田四郎なら、もっとあくどく演出しただろうと思われるところもさらっとしている。
もともと清水は、芝居芝居した劇が嫌いなのだから当然だが。
ご承知のとおり、戦後清水宏は、不遇で、自分で好きな映画を作っていた。
これも溝口健二が「清水のような才能をもったいない」とのことで大映に招き、その縁で撮った作品であり、清水の意図で作ったものではないようだ。
しかも、荷風の原作は、戦時中に書かれたもので、戦後発表され話題になったものである。
時代は、勿論戦前で、エロ、グロ、ナンセンスの時代から戦時中の時代背景が上手く取り入れられている。だが、ここでは1950年代になっているのに、浅草の小屋が普通のレビュー踊りをやっているおかしなものになっている。言うまでもなく、戦後の浅草の小屋はストリップであり、モデルとなっているフランス座(ここではシャンソン座)もストリップ小屋であるが、淡島と京マチ子を裸にするわけにも行かず、中途半端なものになったのだろう。
この連中の持つ性道徳の不埒さは、永井荷風の反俗性であり、戦時下において彼の反抗そのものだったと言えるだろう。
日本映画専門チャンネル

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