ニューオリンズという場所

ルイジアナ州のニューオリンズに行ったのは、1984年のことである。
横浜市港湾局で、海外の港湾関係企業等へのプロモーション担当をしていて、横浜港代表団の事務局をやった。
まず、成田からニューヨークに行き、そこから国内線でボルチモアに行き所用を果たした後、ニューオリンズに下りた。
ニューオリンズは、言うまでもなくミシシッピー河に沿った世界最大の河川港である。
だが、意外なことに河口からは、100キロも上流、日本の利根川で言えば、前橋くらいの位置なのだそうで、それほどミシシッピー河は大きいのである。
実際に見てみると、幅が広いのは当然だが、河の流れの速さにも驚く。
中国の長江の河川も海と見まごうほどだが、ほとんど流れは見えないのと対照的である。

ニューオリンズでは、ライクス・ラインという船会社を訪問した。
ここは、横浜港にも定期船が来ているはずだが、バルク・カーゴと言って、木材、砂糖、鉱石等の貨物輸送では、世界でも有数の会社で、その扱いの多くは、内航河川の貨物である。

当時、ニューオリンズでは、「河川博」という万国博をやっていたので、土曜日に見に行く。
レベルとしては、昨年横浜でやって話題になった「Y150博」程度のものだった。
日本からは、笹川財団等が出ていた。

さて、このルイジアナに最初に来た欧州の国はスペインだったが、すぐにフランスが来て、ここを植民する。
ルイジアナという名は、いうまでもなくルイ14世にちなむもので、ニューオリンズもニュー・オルレアンズである。
だから、アメリカの中で、ルイジアナ州は、独特の文化を持っているのは、こうしたスペイン、フランスの支配がもとである。
と同時に、この地域が、河川と海を通じて、カリブ海と経済的、文化的に極めて強く結びついていたことが大きい。

かつてジャズ評論家油井正一氏は、「ジャズはラテン音楽の一部である」と書いたことがあるが、確かに初期のジャズは、カリブ海地域のラテン音楽との共通性を持っている。
ニューオリンズの特徴の一つに料理があり、アメリカの中では美味しいので有名である。
それも、ケイジャン料理と呼ばれ、フランス料理風のかなり濃厚な味である。
ライクス・ライン社を訪問した後、彼らが昼食に招待してくれたが、このときのランチはアメリカで味わったもので一番美味しいものだった。
ケイジャンと言うのは、音楽のジャンルにもあるが、本来はカナダの東部にいたフランス系の人のものようだ。
それが、カナダが次第にイギリス支配になったので、彼らがそこを逃れ、当時はフランス文化圏だったルイジアナ一帯に来た。
フレンチ・クオーターもまさにフランス文化の名残であり、独特のファサードの付いた植民地風の町並みは、アメリカでは珍しいものである。
市内電車もあり、観光客用に運行している。
勿論、乗ったが、この「欲望・DESEIR」と言うのは、停車場の名前である。

大学時代、龍口直太郎先生が教えてくれたが、テネシー・ウィリアムズは、無名時代ニューオリンズにいて、作家トルーマン・カポーティーのアパートに住んでいたそうだ。
だが、勿論カポーティーの所有ではなく、母親の財産であろう。
彼の母親は、大変な資産家と再婚したためだそうだ。

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