『囁きのジョー』

1967年、日活のスチールマンだった斉藤耕一が自費で製作し、松竹で公開された作品である。
斉藤耕一は、東映、日活の優秀なスチールマンで、石原裕次郎、さらには今村昌平の周辺にいて、中平康の『月曜日のユカ』では、シナリオも書いていた。
次第に通常の映画作りから離れつつあった今村昌平の作劇法やゴダールの演出法に影響を受け、自作へと向かったのだろう。

また、斉藤耕一は、大変なジャズ・マニアであり、雑誌『レコード・コレクターズ』のジャズ・コレクターの座談会に出たこともあった。
7月に亡くなられた中村とうようさんとは、互いにジャズの中古レコード店でよく会うので知り合ったとのことだった。
この映画の音楽は大変素晴らしい。
ピアノが世良譲の他、渡辺貞夫も演奏しているし、当時人気だった歌手の笠井紀美子も出ている。
だが、肝腎の劇は、全くお粗末と言う他はない。
「ボサ・ノヴァ風の洒落た音楽の刺身のつまに映像が流れる」という感じなのだ。

なぜか「ブラジルに行きたい」と言っている中山仁、彼が何物かもさっぱり説明されない。
恋人の麻生れい子は、モデルのような娼婦のような女だが、中山はまったく分からない。
無職らしいのだが、六本木の高級クラブに出入りしている。
そこでの高島稔らの連中の会話は、多分シナリオなしの即興演出であり、そのリアリティはなかなかなものである。

この映画は、当時2千万円かかったと言われたが、このひどい脚本で、中山仁の他、信欣三、西村晃、富士真奈美らに真面目に演じてもらうには、きちんとした出演料を払わなければならなかったはずだが、制作費の大半は出演料とフィルム代、音楽代に使われたのだと思う。
役者、映像、音楽はまことに立派、筋が最低である。

どこまでもドラマがないのかと思うと、急に富士真奈美からの依頼で、急に夫の西村晃を射殺してしまい、警察に追われる身となる。
最後、信欣三と手作りの貧弱なイカダで、埋立地から海に出て終わる。
ここでも麻生れい子は、台詞が吹き替えられている。
中平康監督のATGでの最低映画の『変奏曲』でも、麻生の台詞は全部声優に吹きかえられていたが、そんなに彼女の台詞はひどいだろうか。
確かに、麻生れい子は、すごいガラガラ声で、きれいなルックスとは合わないものだったが。

これを見て、その後斉藤耕一が、松竹を中心に通俗的ドラマを多作した理由がよく分かった。
この人は、映画で表現すべきものが何もないのだ。
映像とテンポ、音楽だけ。
だから、通俗的ドラマの世界に逃げ込んだのである。
だが、それは本来的には、彼にとって仮の姿で、本当は即興演出による映画作りの面白さとリアリティをやりたかったのだろう。
その意味で、両者が上手くかみ合った『旅の重さ』『約束』などは成功したのである。
『津軽じょんがら節』は、見ていないので、そのうちに見てみることにする。

この前に見たアニメの『パーフェクト・ブルー』は、アイドル・グループから独立して女優となる女性をめぐり、「アイドル論」を展開するものだが、ストーリーが「夢落ち」と「映画の一部」ばかりの、能のないシナリオだった。
だが、高齢者劇場と化しているフィルムセンターには珍しく若い女性が数人連れで来ていた。
やはり、この手のでもアニメは若い女性に人気があるのだろうか。
フィルムセンター

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