「映画と国民国家 1930年代の松竹メロドラマ」という御園生涼子の本が出された関連イベントが渋谷で行われたので見に行く。
半分以上は、彼女や松浦寿樹、吉本光宏らの言説に特に関心があるわけではなく、上映された小津安二郎の『その夜の妻』と清水宏の『港の日本娘』を見るためであった。
小津の『その夜の妻』は、戦後の小津とは全く違う、モダニズムの作品である。
子供の病気から銀行強盗をした岡田時彦と妻八雲恵美子らを描くもので、最後は岡田が逃亡に使用したタクシーの運転手が実は刑事で、岡田は逮捕されて終わる。
清水の作品は、横浜で共に女学校で学んだ友達の及川道子と井上雪子の数奇な運命を描くもので、相手役の不良少年は江川宇礼雄である。
ここで、井上は港横浜らしく混血児になっていて、その他異国的な館にいる澤蘭子も出てくる等、異国趣味が強い作品である。
彼女の本を読んでいないので、よくわからないが、彼女は松竹メロドラマの中に、一種の政治性を見出しているようだ。
自らそれを「映画を政治の言葉で語るのは野蛮か」と疑問を出していた。
トークの中で、大学院の指導教官であったらしい松浦や、現在の早稲田での同僚である吉本も、共に「それは野蛮な行為であるが、それによって何かが見えることがある」としていた。
へえそうかね、でもそんなことは全くどうでも良いことではないだろうか。
それよりももっと重要なことは、戦前にアメリカ風のモダニズムで作品を作っていた小津安二郎が、戦後は逆に日本的な情緒を描く方向に、なぜ行ったのかであると私は思う。
それは、一言でいえば、戦後の日本の社会の、圧倒的なアメリカの影響による退廃、混乱から来たものだと思う。
その中で、そうしたアメリカニズムの流入による戦後日本の混乱には、かつて戦前に自分も推進したことに、責任の一半があるとして小津は、深く反省した結果ではないかと思う。
そのことが明確に表現されているのが、1957年の失敗作と言われている映画『東京暮色』である。
この中で、主人公の不良少女の有馬稲子は、不良学生の田浦正巳と関係し妊娠して自殺してしまう。
そして有馬も、さらにそ姉の原節子も、そうした有馬のふしだらさは、姉妹の父の真面目な銀行員の笠智衆を捨て、部下の男と駆け落ちした妻山田五十鈴の悪い血の性だとされる。
有馬の死後、原は山田に面と向かって「お母さんが殺したんです」と山田を強く批難する。
これは、明らかに小津の自己批判であり、当時の石原慎太郎・裕次郎兄弟に代表される太陽族の不品行は、実は戦前の昭和初期のモダニズム、エロ、グロ、ナンセンスの社会風潮がもたらした結果だと小津は言っていると私は思う。
だが、この作品は評判が悪く、小津も失敗作と認めたため、以後この問題は触れられず、元の作風に戻ってしまう。
小津作品から、今時何かを見るとすれば、こうした問題意識こそ必要なのではないかと思う。
大学の映画研究なんて、無意味とは言わないが、実につまらないものだな、と思った。
オーディトーリアム渋谷