松田聖子を見たことがある

三度目の結婚で話題の松田聖子だが、本人を一度だけ見たことがある。
1984年の10月末、ニューヨークのケネディー空港である。

そのとき、私は港湾局の係長で横浜港の代表団の事務局員として北米の各港に横浜港をセールスに訪問していた。
ボルチモア、ニューオリンズ、そしてニューヨーク港で、ニューヨーク&ニュージャージー港湾局は、当時は港湾局が所有していた世界貿易センターの20階くらいにあった。

そして、無事日程を終了し、ケネディー空港で手続きも終わり、ロビーで時間をつぶしているとき、
旅行代理店の現地の人が言った。
「あそこにいるのは松田聖子という人らしいですよ」
当時、北米の日本人は松田聖子をあまり知らないようだった。

行くと彼女が一人で立っていて、彼女に気付いた日本人女性にサインをしていた。
その印象は
「なんて小さくて貧弱な女だろう」だった。

公称では、身長160センチらしいが、155もないのではないか、それより驚いたのは、体の厚みだった。
勿論、やせていて横幅もないが、体の厚さは、15センチもないように思えた。

彼女は当然ファースト・クラスに、われわれはエコノミー席で太平洋を飛んで成田空港に着き、到着カウンターに来ると大変な報道陣だった。
このとき、彼女は郷ひろみとのことで話題になっていて、後にそれが「成田記者会見」と言われるものになった。

松田聖子自身も、歌い方も好きにはなれないが、歌は相当に上手いと思う。
そのアルバム毎に表情を変え、そこにあるドラマを込める能力は、大変なものだと思う。
1枚だけ、LPも持っている。
大滝詠一の『風立ちぬ』である。
彼女は、結局は本能で生きる女性で、その意味では女優の山田五十鈴に比較するのは恐れ多いが、日本の芸能史に残る女性であることは間違いない。

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コメント

  1. OZEKI より:

    結婚、離婚利用の妙技
    山口百恵は引退して伝説になったはずでしたが、長く連れ添う旦那や息子のふがいなさや隠し撮りされたおばさん姿等が伝説のベールを引き剥がし百恵ブランドはすでに陳腐化しています。対する松田聖子は、ポスト百恵と言われて登場しながら、2度の結婚⇒離婚は娘の存在も含めて確実に聖子ブランドの向上につなげ、今や日本芸能界でも有数のカリスマに上り詰めた感があります。引退の有無にかかわらず、結婚、離婚とどう付き合っていくかが、女性芸能人のブランド構築には大きく影響するように思います。しれにしても、結婚⇒離婚⇒結婚⇒離婚をこれほどまで上手にイメージ向上に利用した芸能人は、長い芸能史の中でも他に例がないように思います。

  2. しゅん より:

    無題
    聖子ちゃんはデビュー当時、158って言ってたの動画で見つけたよ。
    O脚矯正したのか、ここ数年前から公表160になってるケド…。

    それにしても再々婚までするから頑張って幸せになって欲しい。