港北区に住んでいる友人から誘われたので、有楽町で『地獄花』、阿佐ヶ谷で『学園祭の夜・甘い体験』を見た後、大倉山に行き、『まぼろしの篠原城』を見る。
この日は結果としては、三連投・三連敗になったが、こんな日もある。
『まぼろしの篠原城』は、女優五大路子の「読み芝居」で、それにチェロ(堀了介)と尺八(三橋貴風)の演奏がつく。
簡単に言えば、大衆芸能の講談や落語のような語りものに音楽を付けたもので、記憶では昔々「立体落語」と称して柳家金語楼もやったことがあるはずだ。
演劇としてはともかく、語り芸としてみれば、三つの点で明らかに問題があった。
1 講談や落語は基本的に高座の布団の上を動かず、そのことで総てを表現するのに、五代は絶えず舞台上を動いたこと。
2 約600人の劇場なのにマイクを使っていたこと。
3 2時間弱の芝居なのに、台本状のものを持って演技していたこと。
これでは、観客の集中が得られるわけもなく、多くの方が途中で眠っていられたが、私も2回睡魔に襲われた。
講談や落語では、語り手の位置が明確で、登場人物との差異は常にきちんと表現される。
だが、ここでは誰が語る主体なのか不明で、めまぐるしく変わるカメラのようで、筋の展開に付いていけないのであった。
筋は、戦国時代に小机城の出城として、新横浜駅近くに篠原城があった。
そこが、北条氏に攻められたとき、城代の金子氏は、彼我の戦力差に気づいたとき、戦いは諦め、無血開城したというものである。
石原慎太郎が見たら激怒する内容だったが、それは良いだろう。
五大路子も、作・演出の畑圭之介も、講談など日本の大衆芸能をよく勉強すべきだと思った一夜だった。
大衆芸能を馬鹿にしてはいけないよ。
港北公会堂