1960年、新東宝で公開された石井輝男監督作品、主演は吉田輝男と三原葉子、嵐寛寿郎である。
昭和20年の敗戦直後、盛り場では「三国人」が戦勝国だとし跳梁跋扈していて、日本人露天商を圧迫していたというタイトルから始まる。
その後のヤクザ映画でもいくつか作られた、韓国・朝鮮人の所謂「三国人」と日本人ヤクザの対決もののはしりであろう。
実際、昭和20年には東京の新橋や渋谷で、そうした衝突事件があり、後に渋谷の当事者でもあった安藤昇主演の松竹映画『男の顔は履歴書』もあった。
だが、それは概ね昭和25年の朝鮮戦争を機会に米占領軍の方針も転換したので、そうした傾向はなくなる。
以前、私が人事異動の挨拶に伺ったとき、元横浜市会議長の松村千賀雄さんは、次のように話してくれた。
「戦後は横浜の港湾でも、韓国系の企業が米占領軍によって庇護されたことは事実である。
当時は、米軍が横浜港も管理していたのだから、米軍の力は絶対だった。
それで上手く立ち回って利益を得た会社や人達は確かにいた。
だが、そういう時代はもう終わったよね」と言っておられた。
1980年代のことである。
東京下町の関東桜組の事務所に、三国人連盟が殴り込んで来て、
「マーケットの権利を半分寄こせ!」と言う。
そこに二階から現れるのが、着物姿の親分の娘三原葉子、さらに飛び込んできて助ける若者は、ラバウルの特攻帰りの吉田輝男。
大学の竜と言っても特に学生というわけではなく、ただの渾名であるらしい。
三原は、組長嵐寛寿郎の一人娘であり、その他子分には天地茂などもいるが、ここでは端役。
桜組の中には敵方の近衛敏明に通じる沖竜二もいて、近衛は桜組と三国人連盟を衝突されて両方を潰そうと仕組む。
こういう筋の運びは、後の東映のヤクザ映画の話によく似ているが、この作品あたりが始まりなのだろう。
もっと前では、1949年に中川信夫監督作品で『死刑(リンチ)』というのがあるが、私は見ていない。
町の祭礼のシーンで、近衛たちの組が神輿にヌード・ダンサーを乗せて押し出して来ると、三原も諸肌抜きになって神輿に乗って対抗する。
また、この時に祭りのお面を被った連中が嵐寛寿郎を囲って連れ出して襲おうとするが、吉田輝男らによって阻止される。
最後は、新川付近の下町で派手な出入りになり、嵐寛寿郎以下、三原葉子、吉田輝男らの活躍で勝利する。
敵側の組長の近衛敏明は非常に好色な男に描かれていて、彼が万里昌代に手を出したとき、料亭の女将から「3人もいるのに」と言われると、
近衛は「違う5人だ!」と言う。
この近衛敏明は、どことなく新東宝の大蔵貢社長を想起させるのが面白い。
石井輝男のイタズラだろうか。
日本映画専門チャンネル