佐藤一さんは、戦後起きた事件の一つで、最後は完全無罪となった松川事件の被告の一人で、二審までは死刑を宣告されていた方である。
彼は、その後、同じく戦後の迷宮入り事件の一つである国鉄総裁の死亡事故の下山事件を研究する『下山事件研究会』の事務局長になる。
この本は、1960年代に松本清張が書いてベストセラーとなった『日本の黒い霧』の虚構をあばくものである。
下山事件は、米軍謀略機関による他殺ではなくて、自殺と断定している。
当時の米占領軍の力ならば、米占領軍に下山総裁が反したことがあったとしても、無理やり殺す必要はなく、クビを切れば良かっただけだからである。
その他、松本清張の実録物のおかしさが丹念に書かれている。
私は、以前から松本清張の小説には相当におかしなところがあると思ってきた。
その典型が、『黒地の絵』である。
これは、朝鮮戦争中に、北九州市小倉で、小倉祇園太鼓の音色に民族的本能を呼び覚まされた黒人兵たちが反乱を起こす。
実際に米兵の脱走事件はあったようだが、きわめて小規模なものだったらしい。
兵舎を脱走し、小倉の住宅地にまで侵入し、ある家で女性を犯す。
その女性は、米軍基地で死体の洗浄のアルバイトをやっていて、あるとき、自分を犯した黒人兵の刺青入りの死体を目撃するという筋である。
私は、この小説の映画化を松本清張が熱望し、そのための霧プロダクションを設立し、監督野村芳太郎らと映画化を追求したというのが信じられない。
第一に、小倉祇園太鼓が黒人のアフリカ的本能を喚起したというのがまったくの嘘である。
前にも書いたように、小倉祇園太鼓は、映画『無法松の一生』で富島松五郎がたたくような勇壮なものではなく、非常に静かなもので、優雅な音色である。
さらに、このようにある物事が民族的本能を刺激し、犯罪行為を起こしたと記述すれば、それは人種的偏見と言われるだろう。
野村芳太郎のみならず、東宝の監督森谷司郎らも映画化を目指したというが、これは映画化されなくて良かったと思う。
もし、世界で公開されていたら、物笑いの種であったからである。
佐藤さんは、2009年に87歳で亡くなられており、この本が最後の著書だったようだ。
コメント
佐藤一さんの本
佐藤一さんのことは僕もちょうど書こうと思っていたところです。最後の本は没後に遺稿をまとめた「下山事件 謀略論の歴史」が彩流社より出ています。
それより一番大事な本は、下山事件全研究」で、昔時事通信社より出て、今はインパクト出版会より再刊されています。非常に大部の本ですが、下山事件の関するすべてが書かれている本だと思います。一応、ご紹介まで。
松本清張は確かに問題性のある作品が多いと思います。下層民衆の怨念を描く作風が面白いと言えば面白い時も多いのですが。「砂の器」は小説も映画もハンセン病差別と言われても仕方ない部分があると思います。実際の捜査方法も疑問が多いですし。それより原作を読むと、映画になっていない第二の殺人があり、非常に奇妙な(実際には不可能?)殺人方法になっています。相当な「トンデモ小説」です。
また「霧の旗」は、兄を冤罪に陥れた警察や検察、誤判をした裁判所をうらまずに、弁護してくれなかった有名弁護士に復讐するという話ですね。このような「本当の敵を取り違える」というのが「民衆の間違い」と言えばその通りなんでしょうけど。
あの殺人はおかしいですね
第二の殺人は不可能で、当時はその程度の電気についての理解だったのですね。
主人公のモデルは、当時は電子音楽をやっていた黛敏郎だそうで、松本清張は黛が大嫌いだったそうです。
また、『霧の旗』は、アンドレ・カイヤット監督の映画『目には目を』をヒントにしたと清張が書いていて、誰に復讐すべきかは、問題ではなかったのですね。