映画『指導物語』で大変興味深く思ったのは、藤田進や中村彰が訓練を受け、丸山定夫が教える蒸気機関車の窯焚き労働である。
左手で釜の蓋を上げ、右手で石炭を救って釜にくべる。
しかし、釜の中の外側は厚く、真ん中は薄くくべないと一様に燃えず、蒸気が上がらず、その結果石炭消費が増えてしまうのだそうだ。
だから、機関区の休憩室には、毎月の石炭消費の成績表が張り出されていて、成績を争うようになっている。
丸山と同僚の北沢彪は、「3番と下がったことがないのに、今月はビリから3番目だ」と嘆いている。
もちろん、石炭の消費量が少ないほうが良いのである。
だが、この窯焚きの肉体労働の場面だが、この時期の戦意高揚映画のみならず、戦前から昭和20年代の世界の映画には大変多く出てくる。
ポーランドの監督アンジェイ・ワイダの『大理石の男』がまさにそうした労働英雄のことだった。
ソ連等の社会主義圏の映画のみならず、日本でもこのタイプの肉体労働を賛美する風潮の作品は多かったと思う。
それは言うまでもなく、世界の経済の中心が、生産工場による第二次産業が中心だったことを直接的に反映している。
だから、1960年代以降、産業が物の生産の二次産業から、サービスや金融といった物以外の生産と消費が中心になった三次産業になると消滅したのだ。
コンビニでのフリーターやスーパーでのパートタイマーによる労働が中心になった現在の日本では、プロレタリア的肉体労働はほとんど見かけなくなった。