尾崎行雄、死去

東映の投手だった尾崎行雄が死去した、68歳。

彼が、甲子園の全国高校野球大会で、柴田勲が投手を務めていた神奈川代表の法政二校に決勝戦で勝ち、優勝した試合も見ている。

この時、高校二年だったのだからすごい。

そして、浪商高校を中退して東映に入り、1962年にはパ・リーグ優勝し、セ・リーグ覇者の阪神と日本シリーズで対決して勝ち、東映は日本一になった。

この日本シリーズは奇妙なシリーズで、本来の駒沢球場が東京オリンピックのために壊されはじめていたので、東京の試合は神宮球場を使った。

当時、神宮球場の外野ラッキー・ゾーンにあったブルペンから阪神の村山がリリーフに出てきたのを憶えている。

そして尾崎は、入団以降3年連続20勝という信じがたい成績を上げたがすぐに速球が投げらくなって引退した。

東京の下町の料亭の女性と結婚して幸福な生活をおくった。

約20年くらい前に、彼とは浅草橋の居酒屋で会ったことがある。

店のカウンターで一人で飲んでいると体の大きな男が来て、店の人間と話して隣の椅子に座った。

その会話と顔つきからすぐに分かり「尾崎さんですか?」と聞くと本人だった。

普通の心の優しい人で、彼が言うには、「手が小さかったので、変化球をうまく投げられず」それで肩を壊し、投手としての寿命が短かったのだそうだ。

1962年の日本シリーズのときは、肩を壊していて出なかった言っていた。

「あれ、そうだったかな」と思った。

当時は、地元の少年野球のチームの監督をやっていたとのことだった。

日本プロ野球史上に残る大投手のご冥福をお祈りする。

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