フィルムセンターで、サイレント時代の溝口健二作品を3本見た。
『慈悲心鳥』『東京行進曲』『ふるさとの歌』で、2分、22分、50分で、弁士は片岡一郎、ピアノは上屋安由美。
『東京行進曲』は、「昔懐かし銀座の柳・・・』で なげのあやか の歌も入った。
『慈悲心鳥』は2分なので、ほとんどわからないが、相対する窓のこっちは貧しい学生岡田時彦で、向こうでは金持ちの男女がダンスをしている、その対比の作品のようだ。
『東京行進曲』は、原作は菊池寛で、ここも階級差が描かれている。
崖下の街に住む少女・夏川静江に、崖上でテニスをしていた若者・一木礼二が惚れる。
彼の友人の佐久間・小杉勇も惚れていて、恋敵になるが、なんと夏川は、一木の父が作った隠し子であることがわかる。
銀座、テニス、カフェ、ダンス等々が出てくるモダン都市・東京の賛歌である。
だが、恋人同士が兄妹だったというのは、歌舞伎の畜生道であり、河竹黙阿弥にもよく出てくる。
この畜生道と言うのは、江戸時代の不条理劇だと思っているが、これもそうだろう。
最後、傷心の一木は、船で出てゆく。この1929年だと、やはり大陸だろうか。
溝口の次の『都会交響楽』は、傾向映画とされる。
『ふるさとの歌』は、非常に変な話で、溝口がこんなのを作っていたのと思う。
村を出て、東京の大学にいる若者たちが村に戻ってくる。と、小学校時代は秀才だった主人公・木藤茂は、馬車の御者をしている。
家が貧しくて、学問のために上京できないのだ。
いい加減な連中は、ダンス会をしたりしているが、これがマンドリンとヴァイオリンの演奏。一体、どんな曲で踊っているのだろうか。
最後、川で溺れそうになった外国人の娘を助けた主人公に、その教育者が東京の家に引き取って勉学させると、彼は県の視学に言う。
すると主人公は、「私は村で改善に努め、村をよくする。農村こそが日本の基だ!」と宣言し、遊び人連中も同感する。
何とこれは、文部省の委託の宣伝映画なのだ。農本主義の宣伝映画である。
木藤は、後に俳優から監督になったとのことだ。
1925年で、関東大震災で向島撮影所が破壊され、京都に移った日活も大変で、こういう受託作品も作っていたのだろうか。
意外にも、溝口健二先生は、職人的監督だったのだと思った。