戦争映画2本

ラピュタの佐藤允特集、戦争映画2本、『あゝ 陸軍隼戦闘隊』と『青島攻撃命令』で、前者は昭和の戦争だが、後者はきわめて珍しく第一次世界大戦時の青島攻撃の話。

前者の主人公は、陸軍の軍神加藤建夫の生涯を描くもので、言うまでもなく1944年に東宝で作られた、山本嘉次郎監督の『加藤隼戦闘隊』と同じだが、これは1969年に公開された。

両作品を比較すると東宝と大映の違いがよくわかる。山本監督作品では、藤田進の加藤以下のパイロットはまるでスポーツのように軽く、明るく隼に乗って戦う。

だが、大映の村山三男作品では、ひどく重苦しく、リアルで、また泣きと涙と別れのドラマになっており、どちらかといえば、こちらの方が実際に近いように見えた。

日中戦争から、太平洋戦争の初戦の戦い、特にパレンバン奇襲での大活躍が最大のドラマになっている。

この時、加藤がパレンバンの奇襲を進言するのが、山下奉文大将で、タコ坊主の石山健二郎が演じており、山下将軍にそっくりで笑える。

さて、この「パレンバン空襲に参加した」と持ち前の大声で常に公言していたのが、東宝の監督古澤健吾であるのは有名で、あだなは「パレさん」

第一次世界大戦当時、ドイツが租借していた青島を、日英同盟により日本は攻撃することになるが、戦艦の大砲の射程距離が短く海上攻撃ができない。

そこで、海軍の池部良らの飛行隊が様々に苦労し、アイディアを出して、ビスマルク要塞の爆破に成功する。

どこまでが事実に基づいているのかは分からないが、構成としては「はらはらどきどき映画」であり、戦争映画というよりも『ナバロンの要塞』のような冒険映画である。

その意味では、粗雑な作風の古澤健吾というよりも、脚本の須藤勝彌の力によるものだろうが、因みに『あゝ 陸軍隼戦闘隊』のシナリオも須藤である。

音楽は松井八郎(大映は大森盛太郎)で、青島近くの島で、原住民の祭りがあり、そこでの音楽と踊りはいつもの東宝特撮映画の雰囲気である。

最後の、ビスマルク要塞空襲(航空機と言っても複葉機のごくチャチなものから爆弾を落下させただけだが)、さすがに全盛期の円谷特撮で、トンネルの中を走る爆弾を積んだ貨物車が、疾走しながら爆発するシーンはすごい迫力。

ドイツのスパイの中国人で浜美枝が出てくるが、その兄が成瀬昌彦で適役。この人は劇団青年座の創立メンバーの一人で特異な風貌だった。

村山三男に戻ると、彼は戦争映画が多く、数年前に「発掘されて」再公開された、樺太の少女電話交換手の悲劇『氷雪の門』も彼の監督である。

阿佐ヶ谷ラピュタ

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