アニタ・オディ死す

白人女性ジャズ・シンガー、アニタ・オディが死んだ。
1919年生まれだから、87歳。名前で分かるようにアイルランド系である。

彼女は、白人ジャズ歌手の代表のように言われているが、実は大変黒人的な唱法である。彼女はシカゴでダンサーとしてプロ入りするが、その頃の憧れはミルドレッド・ベイリー、ビリー・ホリデーらの黒人歌手である。

ジーン・クルーパ楽団を経て、スタン・ケントン楽団で有名になるが、ケントンとは合わなかったようだ。映画『暴力教室』で、スタン・ケントンのレコードをかける教師に対して、ビック・モローラら生徒はレコードを叩き割りロックをかけるが、彼女はむしろロック的感覚に近い人間だったのだ。
彼女は、白人歌手の中では、きわめて黒人に近い、歌を技巧ではなく体で歌う歌手である。
その後、麻薬におぼれるなど、いろいろあった。

彼女のレコードで、一番良いのは、言うまでもなくヴァーブ・レコードでのノーマン・グランツのプロデュースの1950年代の作品だが、それは戦後のアメリカ社会の秩序の良さである。
ノーマン・グランツについて、彼女は大変感謝しているが、「グランツにとって一番大事なのはエラ・フィッツジェラルドで、自分は二番手だった」と回想している。

1985年に来日した際、新宿のライブ・ハウスでの公演を見た。
声はもう出ていなかったが、歌う彼女は実に楽しそうだった。
1950年代のアメリカの古き良さを表現していた歌手である。

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