1939年、亀井文夫が監督した映画『戦ふ兵隊』は、後援した陸軍の圧力で公開禁止になったと言われてきて、フィルムも一時行方不明になった。
1970年に都内の録音スタジオで発見されて上映され、現在ではビデオにもなっている。
この映画の公開禁止の理由は、陸軍の検閲官が「これは戦う兵隊ではなく、疲れた兵隊だ」と言ったからだとされてきた。
だが、昨日1月18日に立川市柴崎学習館での亀井文夫作品上映で解説するために、彼の本『たたかう映画』(岩波新書)を読んだ。
54ページに亀井の言として、検閲却下になった理由は、「東宝では重役だった航空教育資料製作所を作る計画が進んでいて、それと取引したという噂があった」と書かれている。
さらに、この後、亀井は東宝文化部担当の金指重役に呼ばれてご馳走になったそうだ。
それは1939年のことで、航空教育資料製作所ができる時と一致している。
もっとも払い下げを受けたのは海軍からで、陸軍からではないが、いずれにしても軍隊に不都合な作品を公開禁止にすることによって、航空教育資料製作所建設計画を進めたことはありうることだと思う。
何度も書いておくが、こうした東宝の動きを私は決して批難しているわけではない。
戦時体制下で、やむを得ず取った施策だと私は思うのである。
昨日の映画会は、極寒の中多くの方が来ていただき、特に『小林一茶』には、評価が高かった。
亀井文夫と言えば、『上海』『戦ふ兵隊』、「砂川3部作」のようなジャーナリステックな作品ばかりが取り上げられることが多い。
だが、『小林一茶』には、彼の詩人的な感性がよく出ていていて、また当時の長野県の唯一の観光エリアとして軽井沢での外国人のサイクリングが出てくる。
まるで宮崎駿の『風立ちぬ』のシーンのようだったが、あるいは宮崎監督に、この『小林一茶』の場面の記憶があったのだろうか。
旧友の鈴木君が、わざわざ横浜から見に来てくれて、多分8年ぶりくらいだが、彼と野毛に行き楽しく飲んだ。