フランスの映画監督アラン・レネが死んだそうだ。91歳。
アラン・レネと言えば、私たち、1960年代に内外の映画を見ていた者にはとても忘れられない存在である。
なにしろ分からないのだから。
『夜と霧』はまだしも『24時間の情事』、さらに『去年マリエンバードで』も20代で2回見たが、いつも途中で眠ってしまい、また訳のわからないゲームも出てきて、まったく理解不能だった。
「優れた映画とは、われわれレベルでは、容易には理解できないのだ」という間違えた考えを植え付けたのはアラン・レネが第一だろう。
だから、後にATGで『戦争は終わった』を見たとき、スペイン戦争の生き残りの話で、悪く言えばメロドラマ的で、
「こんなにわかりやすくて良いの」と思ったのは、黒木和雄の『祭りの準備』を見たときと同じ驚きだった。
因みに、1961年にレネの『夜と霧』が公開された時、配給したのは日本ヘラルド映画社だった。
かの『エマニュエル夫人』で大当たりした日本ヘラルド映画である。
日本ヘラルド映画第一回配給作品で、本編前には音楽のついた同社のタイトルもあったように記憶している。
日本ヘラルド映画は、名古屋の大興業会社のヘラルド映画と、左翼独立プロ系の日本シネマ・コーポレーションが合併してできたものだった。
映画宣伝業界にいた大学の先輩の話だと、日本ヘラルド映画は、宣伝、広報が非常に上手で、安い広告宣伝費で話題を作るのがうまかったそうだ。
よく考えると左翼的党派のやり方のようにも思えるが。
ともかく「難解王」アラン・レネのご冥福をお祈りしておこう。