『リアリティのダンス』

同じ映画を2回見たのは久しぶりで、三谷幸喜の劇の映画化の『笑いの大学』以来だった。
この時は、まったく面白くないので、本当につまらないのか確かめるために今はない本牧ムービックスで再度見たのだが、やはり異常につまらなかった。
昔では、1967年に鈴木清順の『殺しの烙印』を見てさっぱりわからず、新宿国際、蒲田パレス座、大森ヒカリ座、神田日活、さらには武蔵新田東映と追いかけて多分6回くらい見て、やっと筋が理解できたものだが。

このアレハンドロ・ホドロフスキーの作品は、政治的な鈴木清順とでもいうべきだろうか。
話の反逆性と画面の美しさ、筋の飛躍ぶりは尋常ではない。

ただ、最初見て、時代はチリ初で、「世界中で初めて選挙でできた社会主義政権」と言われた「アジェンデ政権」がCIA等によって転覆させられた後の、ピノチェト政権時代のことかと思っていた。

だが、パンフを読んで、1920年代のナチス的独裁政権イヴァニエス大統領の時代のことだと知った。
チリの北部の鉱山町トコピージャで、洋品店をやっているウクライナ系のユダヤ人で、共産主義者ハイメとその家族。
店にはスターリンの肖像画が掲げられている。

胸が異常に大きく台詞をすべて歌ってしまう妻はサラで、自分の息子アレハンドロを父親の生まれ変わりと信じこんでいる。
ともかくすべてが非常におかしくて、普通の常識的な考えがすべてひっくり返される。
また、鉱山事故で負傷した障碍者がたくさん出てきて、片手はおろか、両手、両足のない男もいて、ハイネと格闘するので、地上波テレビでは絶対に放映できない類の作品である。

ハイメは、仲間の党員と共にサンチアゴに行き、大統領を暗殺しようとするが、仲間の拳銃が不発で失敗するが、皮肉にも偶然に大統領を助けるはめになり、大統領の馬の世話係になる。
この辺の筋も実にとぼけていておかしい。

ついに彼は逮捕されて拷問を受けるが、その時イヴァニエス大統領は、経済恐慌を解決できずに政権を放り出して逃亡し、救出される。

最後、実家に戻った彼に対して、妻のサラは、スターリン、イヴァニエス、そしてハイメ自身が家の暴君、独裁者であり、3人の肖像画を焼いてそれを理解させる。
だが、これは見事な結末だが、戦前にこのような思想を持っていたとしたら、その人は天才である。
今日の見方としては当然にしても。

黄金町シネマジャック

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