岡村淳監督アマゾン作品上映会

ブラジルに住み、日系人の実像をビデオカメラで捉えている岡村淳監督の作品を上映し、ブラジル料理を味合うイベントが行われた。
黄金町のシネマジャックの1階の横浜パラダイス会館。
まずは、ガウシャ伊藤さんの手によるブラジル料理の「モコト」を食す。モコトは、牛のアキレス腱を煮込んだスープで、ブラジルの煮込みだが、むしろスッポンのような味である。

『出稼ぎラッシュ、アマゾンの日本人は今』
1991年に、自分でビデオカメラを廻して撮った最初の作品で、CSの朝日ニュースターで放映されたもので、そこでは映像記者と言われているが、まだ非常にお若く頭に毛が多いので爆笑。バブル時代で、アマゾンの流域の都市トメヤスーからも多数の二世、三世が日本に行った。入管法の改正で、日系人には就労ビザが出されるようになったからだ。
かつて、コショー景気で大繁栄したトオメヤスーも、1970年代には暴落したので、日本に出稼ぎに行くことになったのだ。
そこで、環境破壊との声が上がる中、農業を守る人たちを描く。
『お涙頂戴!ブラジルの一人芝居』
戦前、戦中、戦後の日系人社会の最大の娯楽は、村に巡回して来るシネマ屋で、多い時には100人くらいたそうだ。フィルムと映写機、発電機をトラックに積みブラジル各地を廻った。中には、私も『黒澤明の十字架』で紹介した、ミズリー号上での「降伏文書調印」を逆に日本の勝利として再編集してアナウンスする怪ニュース映画もあり、勝ち組に大歓迎されたのである。
その一人小泉照男さんは、シネマ屋をやめた後は、巡回劇団、市民劇団をやって来たが、高齢化で劇団は無理になり、一人で長谷川伸の『瞼の母』を演じて廻ることにする。
これがすごいもので、体育館のようなところでの老人会に出かけ、一人で演じるが、なんと首からマイクを吊り、カセットに入れた音楽をバックに演じる。
それは、1970年代の日本のアングラ劇のような迫力がある。

いずれにしても、岡村監督は次のように言っているように私には思えた。
昔、芥川竜之介は「人生は1行のボードレールにしかない」と書いた。
だが、、むしろ本当は、逆で、
「100冊のバルザックも書き尽くせない劇が、どのような人間にもある」だと思う。

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