1968年の日活映画で、併映は『スパイダーズの大進撃』である。この頃も、結講日活を見ていて、『かぶりつき人生』と『ネオン太平記』の時は、両方ともモノクロで、館内はガラガラで「日活も大変だな」と思ったものである。
さて、この和泉雅子と杉良太郎主演の映画を見ると、後に日活がロマンポルノに移行した内在的な理由がよくわかった。
彼らは、川崎、鶴見を走る路線バスの臨港バスの運転手と車掌であるが、すでに車掌廃止のワンマンバス問題が出ている。
昔からバスの車掌映画というものがあり、高峰秀子の『秀子の車掌さん』や、桑野通子と上原謙の『有りがたうさん』があり、どちらも地方のバスである。
女優が多数出てきて、和泉の他、元は杉良太郎と恋仲だったが、事故で片腕の障害になって事務職と寮の舎監となったのが芦川いづみ、車掌を辞めて台湾人のパチンコ屋と結婚するのが笹森みちこ、大学生中尾彬と恋仲になり妊娠するのが日色とも枝など。
草間靖子の他社でのアルバイトなど、いろいろな問題が出てくるが、最後は、和泉と杉が一緒になってエンドマーク。
和泉が好きで、手を出そうとする組合のリーダーだったが、一転本社係長になるのが藤竜也で、これを和泉が振るあたりは、山田洋次の『下町の太陽』にも似ている。
それもそのはず、脚本は元松竹の馬場当で、彼のギャンブル好きを反映して、いつも5千円札を出してお釣りのないことで無賃乗車するおばあさんの北林谷栄が、実は磁石でパチンコで不正を行うなどの挿話もある。
全体として、すべての問題は、結局貧困であり、社会の底辺にいる人間たちの悲劇である。
だが、この手の作品を見ていて、当時いつも思ったのが、「こんな貧乏はもうない」であり読売ランドでの組合ハイキングでの「オオブレネリ」の合唱に見られる「恥ずかしさ」だった。
多分、この映画の監督の樋口弘美や助監督だった加藤彰も、そう感じていただろうと思う。
「こんな絵空事は、やっていられないな」と思っていただろう。
彼らは1970年代以降、人間の本当の姿に少しでも近づこうというポルノに行ったのだと思う。
樋口弘美は、プロデューサーに、加藤彰は監督になり、『濡れた札束』のような名作を作るのである。
臨港バスは、横浜にも路線があり、鶴見区の鶴見線高架脇道路や第二国道の眼鏡橋などの横浜の貴重な風景も出てくる。
チャンネルNECO