やはり目蒲線よりも先だった

先週の土曜日に都立小山台校の2・3年の時のクラス会があった。50人中、2人が亡くなっているが、残り48人中20人が出席。

欠席の方は、それぞれに理由があるとのことだが、やはり親や配偶者の介護というのが多かったとのこと。

もちろん、在学中のことなど、いろいろ出たが、その中の話題の一つが、「武蔵小山駅の方に正門がなくて、全く逆側に立派な正門があること」だった。

武蔵小山駅側の通用門は、朝の登校時と夕方の下校時のみしか開いていなかった。

昼休みは、正門のみしか開いていなかったので、外の店に昼食に出て遅くなり、門が閉められてたので、塀を乗り越えたという者もいた。

担任の宮田時雄先生に見つかったのだそうだが、宮田先生は、一言「馬鹿者!」だけだったと言う。

この「正門が駅側にないのは、駅ができる前に小山台高校ができていたはずだ」との結論になった。

戻って調べると、小山台ができたのは、1922年で、目蒲線が開通し、武蔵小山駅もできたのは、1923年だった。

目蒲線も、目黒線と多摩川線に分割されて、名称が消滅している。

二次会は、いつもの商店街の中の居酒屋だったが、武蔵小山商店街が賑わっているのには驚く。

飲食のチェーン店が多いが、パチンコ屋、ジュエリー店、花屋、リサイクル店など多数で、多くの人で一杯だった。

我々がいた頃も、東洋一なるアーケードがあり、それなりの商店街だったが、これほどではなかった。

                   

その中で、かつてはプリンス座、バラ座と二館あった映画館が当然にもなくなっていることは映画ファンとしては淋しいことだった。

実は、もう一軒、月光館というのもあり、ストリップもやっていた時代もあって有名だったらしいが、私がいた時には、すでに新東宝の映画館だったのだが。

 もう一つ映画関係で言えば、鈴木清順監督の名作『けんかえれじい』で、高橋英樹が軍事教連を受ける学校は、小山台高校である。

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