先日見た新藤兼人の『ある映画監督の生涯』の中で、依田義賢氏が、戦後の映画界の急激な変化、特に組合運動の激化について言っていて、
「マネ・カルまで組合員と言ったおかしなことがありましたな」と言っていた。
このマネカルとは、マネージカル・スタッフのことで、各パートの責任者のことであり、タイトルに名が出る人たちである。
彼らは、本来は会社の労働者ではなく、会社と個々に契約している契約者(スタッフ)のはずである。
ところが、敗戦直後の急激な組合運動の興隆の中では、彼らも組合員になり、責任者になった松竹京都では溝口健二が、大船では野田高梧が委員長になったのだから今では笑える。
もっとすごいのは東宝で、取締役と総務課の労務担当者以外は全員組合員で、長谷川一夫や高峰秀子らの大スターも一組合員として運動に日々参加させられたのである。
長谷川一夫も、いやいやながら運動に参加していたというのだから、非常に可愛そうだったわけである。
こうした無理が、組合の分裂とストライキの敗北、最終的には新東宝の結成になるのだ。