東京新聞朝刊の裏面の写真のページが、今日は横浜三渓園と海だった。
そして、「海は昭和40年代からの埋立で・・・」と説明されていた。間違えではないが、これは事実の半分である。
実は、この今は新日本石油(JXエネルギー)の製油所になっている一帯の埋立は、もう少し複雑な経緯があったのである。
このエリアは、主に3回の埋立が行われた。最初は、新山下側からの埋立で、昭和初期に横浜市がやっていたのである。
また、根岸駅の前あたりも、戦前に埋立が行われていて、その一部は南洋空路の飛行場になっていたが、さらにその先も横浜市が戦前から埋立に着手していたのである。
また、新山下側の埋立も、基本的にはリゾート的な高級住宅地として計画され、一部着手されていたが、日中戦争から太平洋戦争への時代の進行で中断されていた。
そして、敗戦後に出てきたのが言うまでもなく米軍で、これは前に書いたこともあるが、横浜市内の瓦礫等を処分の場所として、根岸駅前付近を捨てさせて埋立させたのである。
そして、昭和40年代になり、横浜市によって最後の埋立が行われ、かつての住宅地等は無視されて、経済の高度成長期の象徴というべき石油製油所に売却されたのである。
ここがリゾート住宅地になっていたら、今考えれば素晴らしかったと思う。
新聞が知らないのは仕方ないが、一応事情を知っている者の一人として書いておく。