「生まれて、結婚して、そして香典帳か・・・」

先週見た小林正樹の『化石』で一番面白かったのが、主人公佐分利信が、認知症になってい義母の杉村春子を見てつぶやく台詞である。

佐分利は、故郷の信州に行き、弟で医者の中谷一郎と共に、義母の杉村春子に会う。

杉村はすでに軽い痴呆状態になっていて、佐分利の父が二度目の結婚で杉村と再婚したとき、父と杉村を許せず、杉村に強く当たったことを申し訳なく思って来た。また、弟の中谷の方が杉村に優しかったと記憶している。

だが、杉村はそんなことをすべて忘れている。

そして、知人等が死ぬと「香典を持って行かなければと騒ぐが、それが昔のもので、百円がいいかな」などと言うという。

佐分利は思う、人間は生まれて育ち、自分も子供を作り育てるが、最後は「香典帳」になってしまう。

これは、原作の井上靖のものかもしれないが、小林がいた松竹の小津安二郎が戦後抱いた考えでもある。

小津の戦後の『晩春』『東京物語』『麦秋』等で描いたのは、人間が生まれ、育ち、子を作りそして死ぬ、という循環にしか意味はないと言っている。

詳しくは、拙著『小津安二郎の悔恨』(えにし書房)をお読みいただければ幸いです。

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