『湾生回家』『台湾アイデンティティ』ここにも見えた小津安二郎理論

キネカ大森で台湾についてのドキュメンタリーを2本見たが、驚くことに満員だった。

私は、中国には仕事で5回、台湾にも1回行ったが、断然に台湾に親近感を持つ者である。

日本に、多分これほど好感を持っている国はないと思われ、女子高生までもが入れ墨をしている風習以外は、私は台湾に対してほとんど好感を持っている。入れ墨も、台湾の民族的風習から来ているそうなので、これは仕方ないだろう。

その原因は、台湾も日本もアジア大陸から離れた小島だったことが根本的な遠因だと思う。

『湾生回家』は、湾生、つまり台湾で生まれた者が、戦後日本に戻り、その後成人して台湾を訪れたことを描いている。台湾を日本が領有後、移民が大々的に行われたことは初めて知ったが、主に西日本から移民されたようだ。

花蓮に移民した人が中心だが、中には台湾総督府に勤めていた父親の娘だった元気な80歳の女性の話もある。今は介護施設でほとんど寝たきりの女性で、孫の女性が、彼女の祖母や母親の戸籍や居住地を調べ、岡山の祖母の墓と大阪の西成の木賃アパートでのつつましい生活を聞き出すエピソードも感動的である。

また、花蓮で生まれ、神戸に戻り、一時はヤクザになったが3日で辞めたという男性の身元不明な暮らしも興味深い。

いちいちの物語については書けないが、ここでも私は小津安二郎が戦後の作品で描いたテーマを思い出す。

それは、『麦秋』に典型だが、彼と野田高梧は、この映画のテーマを「輪廻のようなもの、人が生きて子を育て、死んでいく」と言っていて、そうした単純な循環こそが人生の重要な意味だと言っている。

このドキュメンタリーでも窺えるのは、「人生のあれこれの劇は大したことではなく、生まれ、生きて、子を育て、そして死んでゆく」という循環だと思われる。

『台湾アイデンティティ』は、逆に日本人として生まれ、戦争中は日本人兵として戦い、戦後の日本社会で生きていた人たちを描くもの。

中でも戦後は、中国人の銀行の横浜華銀の幹部となった方の軌跡が興味深い。

2本を見て、さらに台湾が好きになった。

キネカ大森

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