1958年、松竹京都で作られた芸者高千穂ひづる主演の作品、脚本は菊島隆三と内川清一郎で、監督も内川自身。
内川は、新東宝の助監督で、溝口健二の『西鶴一代女』に付き、撮影現場で溝口と大ケンカしたことは有名であるが、まあ二流娯楽映画監督である。
ただし、かなり熱血漢的な人だったらしく、その意味では正直で、1960年代後半以降、日本映画界が後退して来ると、上手く世渡りはできず、丹波哲郎の本によれば、晩年は仕事がなくて、相当に落剥していたとのこと。
溝口の弟子筋で、芸者ものといえば、溝口健二監督の戦前の名作『浪花悲歌』や、戦後の焼き直し的な吉村公三郎の『偽れる盛装』を思い出すだろうが、良く似た題材である。
ただ、この映画は本来は、嵯峨三智子主演に書かれたが、嵯峨がトラブルで下りてしまい、高千穂ひづるが代役で演じたものなので、多少ちぐはぐしたところもある。
祇園の芸者の高千穂は、踊りは上手いが、舞妓から始めたわけではないので、置屋の女将浪花千栄子からは、祇園の大イベントである「都踊り」には出る資格がないと言ている。
だが、勝気で自分の芸に自信のある高千穂は、本当に好きな幼なじみの大木実に処女を捧げると、祇園の後援者である財界のボスの柳泳二郎や日本画家の千田是也らに身を委ねて、その地位を獲得しようとする。
芸者置屋の登場人物が面白く、得体のしれない犯罪者の仲代達矢や、新聞記者の須加不二夫、朋輩芸者の福田公子や杉田弘子らも彩を添える。
高千穂が、千田や柳と寝た翌日、モーターボートで水面を疾走するのは、アプレ芸者であることの証なのだろう。
石原裕次郎の『狂った果実』等の太陽族映画では、必ず爽快感を表現するシーンとしてモーターボートが出てきたものだである。
最後、やはり高千穂は、都踊りには参加できず、恋人と思っていた大木実のところに行くと、彼は大阪の医者の家に養子に行くと言う。
睡眠薬自殺した高千穂だが、生き返り、そのとき木偶のボー芸者と思っていた杉田弘子から、
「私も自殺したことがあるのよ」と慰められる。
要は、女の悲劇と自立を描く作品だが、やはり全体として甘いと言うしかないだろう。
それは、勿論嵯峨三智子に当てて書いたものだからからだが、最後の杉田弘子の告白など、もっと演技的に叩いてきちんと演じさせるべきシーンだったと思う。
この杉田弘子は、大柄の美人女優だったが、演技は全くの大根で、1961年に新東宝最後の公開作品である『北上川悲歌』に主演して消えた。
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