『何もかも狂ってやがる』

1962年の日活作品、脚本は大工原正泰、監督は若杉光夫、出演は寺田誠、吉行和子らである。高校2年の寺田の家は貧しく、父親の大森義男は小工場の職工、母親の高野由美はミシンの内職をやっている。大森が二言目に言うのは、「死んだ兄は真面目だったが、お前は・・・」である。

寺田は成績はまあまあだが、金持ちでPTA会長宮阪将嘉の息子金川高司に、試験で答えを教えてくれと言われ教えたことから、担任の宮崎準にカンニングを疑われてしまう。

次第に勉学への意欲を失ってしまい、ヤクザの梅野泰靖に目を付けられる。

吉行和子の会社の上司の係長で付きまとう中年男は信欣三。以上のように、劇団民芸の役者ばかりで、ほんとんど民芸映画。撮影も独立系の記録映画の井上莞で、室内撮影以外は全部ロケショーンだと思われ、記録映画のようなリアリティがある。

上野、浅草、日暮里、さらに都電荒川線などの東京下町の情景が出てきて、今見ると非常に貴重な映像である。

特に、私が驚いたのは、裕次郎・ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、浅丘ルリ子が住んでいて、「お豆腐屋さーん」という声が聞こえる、赤レンガが左に続き、右は木造の長屋が続く路地が出てきたことだ。

前からここは横浜ではないと思っていたが、やはり上野、本郷あたりらしい。

ここで佐野浅夫の流しのギター弾きで、簡易宿泊所に泊まった寺田に「金に気を付けろよ!」と言いながら、寺田が翌朝目を覚ますと、金を取られたことに気づき、彼のギターをバラバラにする広場がレンガ塀に続いていた。

もう一つ、ロケですごいと思ったのは、寺田の家庭のあるコンクリートの共同住宅で、コの字型で、大変に大きなアパートなのだ。

錦糸町や深川にあった同潤会ではなく、上野あたりにあった都営住宅だと思う。

内部はセット撮影のようだが、2Kくらいの広さで、かなり狭い。勿論エレベーターはなく、大きな階段をみな歩いて上がってゆく。

最後、高校をやめた寺田は、横浜の港湾労働者として大さん橋の荷役作業で元気に働いている。

「無意味な大学進学よりも汗をかいて労働しろ」という日本共産党のメッセージが見えてくる。

監督の若杉は京大を出て大映京都にいて、黒澤明の『羅生門』の時は、加藤泰の次のセカンド助監督だったが、1950年のレッド・パージで大映を首になる。この大映のレッド・パージはかなりいい加減で、加藤泰のように共産党員でなかったが、いつも煩い助監督だったので首にしたようだが、若杉は本物の共産党員だったらしい。この人の作品には、『美しい人』があり、これは三好十郎の原作でぜひ見たいと思っているのだが、なかなか上映されることがない。

多分、ダビッド社という今はない出版社の製作なので、フィルムがないのではと思っているが。

因みに、この労働賛美映画の10日前に、浦山桐郎監督、吉永小百主演の『キューポラのある町』も公開されている。

日本共産党イデオロギーが強かったと言えばそれまでだが、1962年はまだ高度成長以前であり、日本の至るところに貧困が存在していた時代である。

衛星劇場

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