午前中特にすることもなかったので、今村昌平の『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活』を見て、二つのことに気づいた。
主人公赤座悦子の金への執着は物凄いが、社会的地位についてはまったく関心がないことである。彼女は言う、彼女の妹も、米人と結婚していて、悦子の相手については、
「下の兵隊ばかりで、そんな者と附きあうな」と言い、自分は高級将校と一緒になる。
だが悦子は、「スケベなことも言えないし、肩が凝って仕方がないので、そんなのは嫌だ」と断言し、下級の軍人と附きあい、最後は結婚するのは、すごいと思う。
もう一つは、この今村作品の製作は、小笠原基生と共に、当時日本映画新社の社長だった堀場伸世氏である。武重邦彦さんのブログを読むと、堀場は、形だけではなく、実際に映画の準備中から今村らと接触していたようだ。
この奇妙な作品が日映で映画化されたのは、公開当時も非常に不思議な感じがした。
だが、この日映のニュース映画を利用して映画を作るというのは、後の堀場の行動に影響したのではないかと思えてきた。
というのも、1970年代に東宝は、製作部門の切離しを行い、すでにあった子会社の東京映画の他、東宝映画、東宝映像、芸苑社、青灯社の5社を製作会社とし、この青灯社の社長は堀場氏だった。
その結果、芸苑社は、佐藤一郎プロデューサーの下で『華麗なる一族』等の文芸作品を残したが、青灯社は結局1本も製作することなく解散することになった。
その裏には、堀場氏が、大作の『レイテ戦記』の準備過程で、インチキな連中に騙されて資本金を使ってしまったからだと聞いたことがある。
だとすれば、この今村昌平作品の、日本映画新社のニュースフィルムを使った方法は、堀場の『レイテ戦記』製作のアイディアのヒントを与えたのではないかと思えてきたのだ。
いずれにしても、奇妙と言えば非常におかしな今村昌平作品を産んだことは、日映の晩年の功績とはいえるに違いない。
もう1本、黒木和雄の最初の劇映画『飛べない沈黙』を作り出したことも、製作の小笠原基生氏の功績だろう。