小津先生に失礼では 『珈琲時光』

川崎市民ミュージアムで鉄道映画特集で、『珈琲時光』をやるというので見に行く。

これは申し訳ないが、小津先生への誤解ではないかと思えた。

まず、アパートで一青窈が洗濯した後の下着を干しているが、上ばかりでパンツ類がない。主人公はノー・パンなのだろうかと思う。

まず、彼女の脱力演技には、こちらの見る気が脱力してしまう。

これは、小津安二郎映画の「自然な日常的な」演技に対する完全な誤解である。

小津の映画は、自然な日常的な演技だが、脱力演技ではなく、常に緊張感がはらんでいる。

小津と同様に日常的な主題を描いた成瀬巳喜男の映画でも、小林桂樹、高峰秀子、森雅之などのベテラン俳優ばかりであり、緊張した演技をさせている。

吉本隆明も書いているが、どの分野でもリアリズムは最後に出てくる形式である。それは縄文時代の土器等の形状を見ても、非常に前衛的であることがわかるだろう。

話は実に詰まらないもので、どこにもドラマがない。唯一あるのは一青窈が妊娠していて小林稔侍と余貴美子の両親が心配しているというものだが、少しも発展しない。

ただ、二人が一青窈が住んでいる雑司ヶ谷のアパートに来て、部屋に酒がないので、余と一青窈は隣の部屋の女性に酒を借りに行く。『東京物語』で、原節子のアパートに笠智衆と東山千枝子が来て泊まった時のシーンの引用である。

小津作品では、隣の女性の三谷幸子が「はいはい」とすぐに貸してくれる。また、東山が亡くなった後、原節子は笠智衆に対して、

「お母さまには言えなかったんです・・・」と号泣する。

これは、原節子に男がいることを示していると私は思うし、高橋治も似たようなことを書いている。

さらに、原節子のモデルであると思われる、松竹大船撮影所でアコーディオンを弾いていた女性で未亡人の村上茂子さんは、実は当時小津安二郎の愛人であった。また、原節子は、義兄の熊谷久虎と長年不倫関係にあったのである。

そうなると、この妊娠している一青窈が酒を借りに行くというのは、原節子は実は妊娠しているのことを示唆しているのかと思った。

これは、すごい新説だと思ったが、それ以上でもなかったようだ。

川崎市民ミュージアム

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