『孤狼の血』

東映得意の不良性感度の高い映画で、非常に面白いが、こうしたドラマは昭和で終わったのかと思う。

広島のとなりの呉市のことで、『仁義なき戦い』でも描かれた暴力団同士の抗争だが、主人公の役所広司は、暴力団の人間ではなく、暴力団担当のベテラン刑事である。

そこに広島大学を出た新人の松坂桃李が配属されてくる。

新人をベテラン刑事が育てる劇は、世界の刑事ものの嚆矢というべき黒澤明の『野良犬』と同じで、イーストウッドの『ダーティー・ハリー』とも同じである。

ともかく暴力が凄い。最初に豚小屋でリンチされるシーンの豚の糞を口に突っ込むところから始まる。

二つの暴力団が対立していて、その一つの親分の石橋蓮司の演技が大いに笑える。もう一つの組の現在のトップは刑務所にいる伊吹吾郎の下の江口洋介。

東映教育映画『風呂焚き大将』で映画デビューして以来、高倉健の『網走番外地』シリーズでは、健さんと一緒に刑務所の風呂場で裸で暴れた青年は、頭の禿げあがった老人となって組に君臨している。だが、最後ホテルでの大宴会で、対立する組の江口洋介らに首を切られて便所の小便壺に捨てられる。

役所刑事がやっていることは、松坂に言わせれば、「やりすぎで正義はどこにあるのか」だが、役所は「警察のやることは全部正義だ」と答える。

かつて「暴力装置」と言った議員がいたが、軍隊と警察は間違いなく暴力装置である。だから本来、暴力を独占すべき警察は、暴力団のように自分の暴力性を危うくする存在へは徹底的に弾圧するのである。

だから、これを見ていると警察の下部と、暴力団のt連中は相互に同じ人間のように見えてくる。途中で松坂は、県警監察室が送り込んだ「スパイ」であることが分かるが、監察官が指定するように、松坂は次第に「木乃伊取りが木乃伊になる」。

そして、松坂は、江口に石橋蓮司の情報を与えて彼を惨殺させる。

だが、こうした暴力団同士の抗争は、暴対法の成立とともに消滅し、町からは大きな暴力が一掃された。それは東京都で見れば、石原慎太郎の新宿浄化作戦になるが、まったく余計なお世話である。

その結果、今の世の中にはびこるのは、小さいが卑怯で陰湿ないじめ等で、本当に嫌な世の中になったものである。私は、世の中に受け入れられない連中を受け入れる存在としての暴力団は、資本主義社会の必要悪なのではないかと思っている。

上大岡東宝シネマ

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