長谷百合がでていた 『末っ子大将』

ラピュタの独立プロ特集.

木村壮十二は、かなり特異な経歴の監督で、牛鍋「いろは」チェーンの木村壮平の12番目の正妻の子として生まれたが、奉公に出されたこともあったようだ。木村には30人の子がいたそうだ。

「新しき村」に参加したなどしたが、関西で映画界に入り、プロ・キノの幹部にもなるが、新しくできたPCLの基礎を作る監督になる。『兄いもうと』などは非常に優れた映画である。

だが、戦時中に、指導者としての才をかわれて、満映に招かれる。満州に映画大学を作るのが目的だったがそれは出来ず、映画製作の指導に当り、戦後は中国に留まる。炭鉱で働くといったこともあったようだが、絵画による宣伝工作等に従事し、1952年に帰国する。

だが、当時の日本映画界には入らず、主に記録映画や児童映画の監督をする。要は、良心的な人だったのだろうと思う。

この作品も、大阪母親プロが中心となっており、児童映画として学校や地域の巡回上映、さらに学校での買い上げを目的に製作された作品だと思う。とは言っても脚本は、依田義賢と一流で、これは依田もプロレタリア文学運動で活動していたこともあるので、戦前に木村と交友があったのかもしれない。

話は、紀州の漁村で、極貧の漁師島田頓と望月優子夫妻の子、昭和17年生まれの三男の子のことで、長男と次男は戦争と船の遭難で亡くなっていて、その淋しさから乱暴を働いている。

担任の教師は塚本信夫で、彼の心情を理解してあげ、やさしく接してあげるように、金持ちの子の明美にも諭すが、この子はきれいだがその後どうしたのだろうか。

彼女が肺炎で入院した時、自分の絵を上げようとしてた時、屋敷に侵入の疑いを掛けられるが、事実とは違うことが明らかにされてエンド。要は、望月に象徴される母の愛の深さを表現する作品で、偽善的なところは一切なく児童映画としては上々の部類だと思う。いつもはぼんやりとした親父役の島田頓が、厳しい親を演技しているのが面白い。

中で、姉の一人として長谷百合が出ていた。

あの藤田まことの「ハセくーん」の長谷百合である。テレビの『スチャラカ社員』の掃き溜めに鶴のごとき美人OLで、彼女が日活に出るようになった後が、あの藤純子で、長谷百合と比べて「随分とダサい子だな」と思ったものだ。

日活に出たのは知っていたが、その前にこうした作品に出ていたとは知らなかった。これは、木村監督の下、望月優子と島田頓が東京から関西に行き、地元の俳優を使って作ったものだと思う。タイトルには関西の劇団の名前が多数並んでいた。

1960年8月には、新東宝系で公開されているとのことで、これも夏休みには、社明運動(社会を明るくする運動)などで、地域で夏休み映画会が行われることがあったので、それも公開の目的の一つだったと思われた。

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