『ハワイ』 ホリエモンに見せたい映画だ

MGMの大作で、原作は『南太平洋』のジェームス・ミッチナー。

19世紀の初め、アメリカのイェール大学からハワイへの派遣牧師が選ばれ、それがマックス・フォン・シドー。彼は別の映画ではキリストの役を演じていて、欧米人が思うキリスト像なのだろうか。カルビンがどうのこうのと言っているので、清教徒の厳格な連中らしく、酒もタバコも一切の享楽がいけないようだ。妻帯が原則で、彼は上流階級の娘のジュリー・アンドリュースに求婚し、二人は地の果てのハワイに行くことになる。長い顔の俳優同士の組み合わせ。彼女が最初好きだった二枚目で捕鯨船の船長が『マッカーサー・パーク』のリチャード・ハリスで、いろいろと絡んでくる。

当時、ハワイに行くなど、今でいえば月世界旅行のようなものだったろう。もちろん、パナマ運河はなく、南米を廻ってで、ホーン岬では大嵐に遭うが、「神の御加護」で無事太平洋に抜けられる。

ハワイのマウイ島のラハイナに着くと、ほとんど裸の住民が船に向かって泳いでくるが、これがクロールなのはおかしいが、映画なので良い。クロールは、タヒチの住民がサメを避けるために開発した泳法なので、19世紀のハワイにあったとは思えない。

女性もほとんど上半身は裸で、要はアグネス・ラムのような女性が乱舞する。それを禁じたキリスト教のバカ者め!

シドーは、現地の人間にキリスト教を説くが、最大の問題は、彼らが近親婚なことで、兄弟姉妹で結婚していて、酋長の王と女王も姉と弟のようだ。

近親婚が本当に当時のハワイにあったかどうかは知らないが、一般的に欧米人が、アジアやアフリカの未開の人間はみな近親相姦だと信じているのは本当で、それは日本人が北欧の国はすべてフリーセックスだと信じているのと同じである。

さて、いろいろとキリスト教の布教というか、現地の文化破壊に精を出すが、子供も生まれる。彼は四六時中神のことを考えていないとダメなようだが、それでもなぜか子供は生まれる。

次第に時代は進み、はしかの大流行もあり、人口が40万人から5万人に激減してしまう。

ついには立派な教会も建ち、彼は功績を評価されて東部の教会の牧師に任命されるが、彼は拒否してハワイに残り、砂糖工場の建設問題ではハワイ人の側に立って生きてゆくことを決意してエンドマーク。

その住居は、ほとんどわら小屋で、ジュリー・アンドリュースには豆と塩漬け肉しか食べさせていなかったので若死にしたらしい。「清貧(ポバティと言っている)であることが当然」という彼の信条は凄い。

ホリエモンらにぜひとも見せたい映画である。

シネフィル

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