安倍晋三が自民党総裁選挙に勝利した。前日の言動を見ると、彼はいよいよ偏狭になりつつあるようだ。憲法改正に取組むそうだが、これは公明党が賛成ではないので難しいだろう。
その理由は、来年4月は、統一地方選があり、公明党にとっては一番重要な選挙なので、ここで同党の嫌がる憲法改正を掲げることはできず、安倍自民党が積極的に動くのは難しいと思う。
そして、すぐに8月には参議院の通常選挙があり、時間的には短すぎるだろう。
そうなると参議院選挙後となり、ここで勝つか負けるかで、その後の動きが決まることになるが。
さて昔、横浜市会に岩田七郎さんという市会議員がいた。一年中、開襟シャツで出てくる人で、本当は議会の規則では、やや問題のある服装なのだが、岩田先生の場合は誰も文句は言わず、開襟シャツで通していた。
開襟シャツと言えば、昔の学校の先生には多かった姿で、清水邦夫作、蜷川幸雄演出で新宿文化での最終作『泣かないのか、泣かないのか、この1973年のために?』では、石橋蓮司が「開襟シャツのこんちゃん」を演じたと記憶している。
この岩田七郎さんは南区選出で、横浜市政同志会という会派に属していた。
一応、保守派なのだが、自民党ではなく独自の会派を作っていたのだ。いろいろ人間の異動があったが、大体は岩田さんと金沢区の宇野忠治さんという二人の会派だったが、その時々で新自由クラブが分解して分かれた議員などがいた時もあり、磯子の大田正孝先生が籍を置いていた時もあった。
さて、この岩田さんだが、職業は薪炭商となっていて、炭や石炭などを売る店をやっていたらしい。だが、彼の経歴では、戦前は無産政党の者となっていた。特高の資料に確かに「南区の無産党員として岩田七郎、薪炭商」とあったのを読んだことがある。
岩田さんにしろ、宇野さんにしても、当時は自民党から出ても良いのだが、いろいろと地元の事情があって出られなかったのだと思う。だが、その政治的立場は、自民党のお友達という感じだった。このように、昔の自民党は、元無産党員を含むような幅の広い、言ってみれば「国民政党」だった。今の安倍自民党を国民政党だと思う人はいないに違いない。