今週、二人の元横浜市会議員がなくなられた。
一人は、社会党でありながら4年間市会議長を務められた大久保英太郎氏で、もう一人は緑区で横浜ネットから1期だけ市会議員だった中島明子さんである。
私が、昭和53年12月に横浜市の係長になったとき、最初に仕えたのが、大久保英太郎議長で、彼の議長秘書だった。
大久保さんは、市会事務局でのあだ名を「デンポー」と言われたように郵政労組出身だった。
北海道での電信業務、電報配達から始め苦労されて、組合運動から市会議員になった。
大変頭が良く、また挨拶がとても上手で、葬式の弔辞なのでは皆を必ず泣かせた。
私は、初めての係長でもあり、大久保さんの頭のよさに毎日ついて行くだけで精一杯だった。
でも、大久保さんの後、鈴木喜一さん、相川藤兵衛さん、そして松村千賀雄さんの三人の議長秘書を勤めて、昭和58年に港湾局に異動するとき、「君ならどこでもやれるよ」とやさしく励ましてくれた。
彼の功罪はいろいろあると思うが、基本的は苦労人の人情家だったと思う。
87歳なので、大往生だろう。
中島明子さんは、1期だけだったので、知る人も少ないと思うが、議員定数4人の緑区で、横浜ネットから二人目の自民党候補を破って当選したのは大したものだった。
私は、緑区で総務課長をやっていて1年間付き合った。
大変真面目で、なかなかの美人だったので、二期目も必ず当選すると思っていたら、自民候補に雪辱されてしまった。
そして、2年前の統一地方選でも落選し、もう選挙には出ないことを決められたようで、地域での本来の活動に専念されていた。
まだ、54歳と若いので本当に驚いた。急性肺炎とのことだった。
二人の方のご冥福を心からお祈りする。