ミッキー安川死去

先日、岡本喜八の愚作『にっぽん三銃士』でミッキー安川の下手な演技を見たばかりだったが、他の映画にも結構出ている。勿論大半は、「変な日本人」的役割だった。
だが、日活の『月曜日のユカ』の原作者としては、長く残るだろう。
中平康監督、加賀まり子、中尾彬主演の映画は、ひどく気取ったものだが、中平康がやりたかったことは、かなりよく出ていると思う。
そして、この映画が今日的に価値があるのは、当時まだ完全に米軍の支配下にあった横浜の姿を、外人専門の娼婦という加賀まり子で象徴させていることである。
作品の中には、当時の元町、山手等々の情景も出てくる。勿論、本牧には米軍施設があった。横浜は、そういうところだったのだ。
横浜で育った安川少年が、高卒後アメリカに行ったのは、当然のことだったろう。
言わば、右翼的、下層階級の、小田実の『何でも見てやろう』である。

学生時代、私は東京12チャンネル、今のテレビ東京でアルバイトをしていたが、ある日彼がいきなり運動部に来て、何かを売り込んでいた。
それが、『ローラー・ゲーム』だった。
大した番組ではなかったが、何も目玉番組がなかった12チャンネルは、無理やり盛り上げて人気番組にした。
その他、「メキシコ闘牛」などと言うものも、彼が持ってきたものだった。
言って見れば、彼は芸能界におけるブローカー的存在だったようだ。
今はそうしたものは、広告代理店や商社がやっていることだが、1960年代当時彼は個人でやっていたのだろう。
そうした日本とアメリカの関係も一つの時代の変化を象徴するものと言えるだろう。
近年は、ラジオ日本で政治的なトーク番組を持っていたが、ズレた親父の床屋政談だった。
1960年代的なタレントと言えるだろう。

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