戦前の田中絹代・上原謙の大ヒット作ではなく、1962年の岡田茉莉子、吉田輝雄主演、中村登監督のもの。
結論的に言って、大変面白かった。今年見た映画で一番笑った。
津村病院の御曹司津村耕造と子持ちの看護婦高石かつ枝とのメロドラマ。
相思相愛の二人の仲を邪魔するのは、冒頭は、病院規則で独身となっているのに、岡田が子持ちであることが分かって怒る千之赫子ら看護婦だが、事情を聞いてみな同情し、援護者になる。
さらに婦長が岡村文子で、この人は戦前からの松竹の女優で、大変上手いので、ほとんど怪演に近い。
この看護婦連中の出てくるはたびに、場内は大爆笑になる。また、岡田が作詞コンクールに入選し、歌手になるレコード会社ディレクターの須賀不二男も傑作で、この辺の役者は多分嬉々として演じている。
吉田が、二人の結婚を笠智衆と沢村貞子の両親が認めてくれないので、京都に行き、駅に岡田が来るはずが、子供の発熱で遅れ、東京駅へ駆けつける有名なシーンも再現されている。勿論、ここに高石かつ枝が歌う『旅の夜風』が流される。
高石かつ枝は、本来この小説の岡田の役名だが、この高石かつ枝を芸名に、コロンビアが大キャンペーンの公募で合格した美人歌手で、この後もかなり人気があったが、吹原産業事件のスキャンダルで消えた。
岡田茉莉子の歌は、全部高石の吹替えになっている。
吉田が友人佐田啓二がいる京都の大学に行ってからは、岡田も京都に行くシークエンスが戦前版には本当はあったはずだが、ここではない。
戦前の田中・上原の『愛染かつら』では、田中が京都に行って云々があったはずだが、今売っている松竹の『愛染かつら・総集編』では、それは。本当は、上原が従軍して中国に行くという件もあったそうだが、そうしたところも一切ない。
こ今販売されている『愛染かつら・総集編』は、きわめてひどいフィルムで、私の想像では、ネガ・フィルムからではなく、ポジ・フィルムを直接カットして再編集した代物であるので、買わないことをお勧めする。
母親の病気で、吉田は東京に戻るが、岡田茉莉子は病院を辞め、一時は生活に困窮していたが、歌手デビューで一転する。
この歌舞伎座での発表会の招待状が病院に来て、それを千之赫子が吉田輝雄に持って来るやり取りが最高だった。
始め吉田は、「駄目だ」と看護婦仲間が行くことを頑として許さない。
だが、「君たちだけでは駄目だ、手の空いている者は全員行くように」と言い、これは大爆笑。
最後は、歌舞伎座での発表会。
前座は、神戸一郎(かんべいちろう)である。『銀座九丁目は水の上』のヒットがあった歌手だが、よく見ると鶴田浩二をさらにヤクザ風にした気持ち悪い顔である。
岡田茉莉子は、看護婦姿で歌い、客席にも看護婦の岡村文子、千之赫子らがいる。
続編は、津村病院が経営不振となり、笠も死んでしまい、そこに笠の友人佐々木孝丸が資金援助し、交換条件に息子の佐藤慶を事務長に送り込み、娘の岩崎加根子は、吉田輝雄を追いかけて、岡田と対決する。
岩崎が上手いので、ドラマは大いに盛り上がる。
通俗劇は、悪役や対決する役者が上手くないと面白くないのだ。
例によって、吉田は北海道の僻地に行き、岡田も人気歌手として、二人はすれ違いになる。
ここでも、神戸から飛行機で吉田を慕って東京に戻って来る岡田と、北海道に赴任する吉田との羽田空港でのすれ違いもある。
色々あるが、最後は岡田はサンケイ・ホールで歌う。
サンケイ・ホールは、当時は日本で最高のホールで、アート・ブレーキーなど、ジャズのコンサートもここで行われたが、消防法に対応できず1980年代に閉鎖された。サンケイ新聞の栄枯盛衰を象徴するものとも言える。
ここでは、今や日本を代表する大歌手の北島三郎先生が『ブンガチャチャ節』を歌っているが、多分、北島の映画初出演作品だろう。
岡田は、歌の途中で倒れてしまうが、軽い疲労で、吉田と幸せな結婚を暗示して終わる。
監督の中村登は、歌舞伎作者榎本虎彦の関係者で、歌舞伎に造詣が深いので、「正面を切る芝居」を主演役者にさせている。
例えば、子供が行方不明になり、岡田が急遽北海道から戻って来て、自分の心情を述べるところ。
本来は子供に掛ける台詞を、岡田はカメラに向かって言い、最後だけを子供に掛ける。
この正面を切る演出を中村登は、主役の岡田、吉田にはやらせていて、それで映画を盛り上げている。
これは本当はおかしいのだが、見ていて全くおかしくなく、これが歌舞伎の演出なのである。
阿佐ヶ谷ラピュタ