先日亡くなられた池部良の最初の出演作品、昭和16年7月に公開されている。
原作丹羽文雄、監督島津保次郎、主演は里見藍子という女優。
初めて見たが、原節子の目を小さくした感じで、なかなかいい。この時期東宝にかなり出ているが、元はSKDにいて、ターキーの相手役もやっていたらしい。
主人公里見藍子は、ヤマト文化協会という海外に日本をPRする団体(今で言えば国際交流基金のようなものか)のOLで、タイプと速記が出来るキャリア・ウーマンである。
彼女には父親がいるが、事業に失敗して田舎で隠居のようにしていて、彼女は東京で弟の池部良と暮らしている。彼女の月給が100円だが、当時の給与水準では平均的レベルらしい。だが、不思議なのは家に女中を置いていることで、女中の給与は極めて低く月5円くらいだったらしい。この辺は、戦後の日本社会は極めて民主化されたのである。
池部は、盛り場で遊び暮らしていて、警察に上げられ、さらに結核にかかっていることが分かる。
この映画は、結核予防PR映画で、厚生省の後援になっている。
姉は無理して池部を療養所に入れ、そこで池部は気胸手術を受ける。気胸手術とは、戦前から戦後にかけてよく行われた手術で、肺に空気を入れ、その圧力で結核に冒された部位をつぶしてしまうもので、確か副作用もあるとのことで、今は行われていない療法である。
池部の友人で元バーテンダーの月田一郎も結核で、彼はさして良い療法を施されなかったので、最後は死んでしまう。妻は美人の花井蘭子、この他、山根寿子も出てくるなど、東宝の女優総出演であり、出ないのは原節子と高峰秀子くらい。
警察は言う「結核は、左翼などよりも若者を蝕む怖い病気だ」
この映画のシナリオを書いているのは、元共産青年同盟員だった山形雄策であるとは皮肉。
里見には許婚がいて、それは商社マンの灰田勝彦。二人は愛し合っているが、灰田は出征し、中国に行ってしまう。
その間に、池部が警察に捕まり、さらに療養所に入院したことを、灰田の親の丸山定夫と清川玉枝に内緒にしたことから、二人の婚約は清川の邪推によって一方的に破棄されてしまう。
この話のテーマは、女性の自立であり、当時の言葉で言えば、「職業婦人が如何にして周囲の古い考えと戦い、また上手くやっていくか」である。
また丸山家には、好戦的ムードがあり、里見、さらに里見の窮状を救い雇用してくれる美術商高田稔には、英米的立場が感じられる。
島津保次郎や小津安二郎ら松竹の監督の基本的立場は、一貫してアメリカニズムであり、右翼的な好戦主義とは最後まで相容れないものだった。
最後、灰田は、南方の支社に派遣されることになり、池部は結核が完治して職につき、里見も高田の店で働きつづけることになる。
さらに、この映画には、戦前以来、木村荘十二、成瀬巳喜男、今井正によって3度映画化された室生犀星原作の映画『兄いもうと』を逆にした関係があることに気づいた。
『兄いもうと』では、堅気の兄とヤクザな妹だが、ここでは堅気の姉と少々ヤクザな弟である。
また、よく考えれば渥美清と倍賞千恵子の『男はつらいよ』も、ヤクザな兄と堅気な妹の話である。
日本の映画、演劇、文学にはこのパターンが極めて多いのは、この兄弟姉妹関係は、擬似恋愛からに他ならないからだろう。
これは十分に考えてみるべきテーマだと思った。
日本映画専門チャンネル
コメント
Unknown
この映画のヒロイン 里見藍子は、吉屋信子の勧めでSKDから東宝にに入社して、1938年に吉屋原作の「女の教室」でデビューしています。彼女の代表作がこの「闘魚」です。残念ながら1943年に退社して45年に朝日新聞記者と結婚しました。当時の評論では、「身にあまる大役やミスキャストにこだわることもなく有望視されたまま身を引いたことは、あまりにも惜しい。」とあります。大女優となる素質があったので、とても残念です。彼女は、その後、銀座7丁目で夫と息子とともにアサヒ画廊を経営していたそうです。
非国民と言われたのでは
コメント有難うございます。
当時は映画の制作本数も減り、また「映画俳優など、この非常時に非国民だ」と言った社会全体の感じもあり、将来性がないので、すぐにやめてしまったようです。黒澤と結婚した矢口陽子も同じだったと思います。