2008年に出た白坂依志夫の「シナリオ別冊」の『白坂依志夫の世界』は、1960年代以降の日本映画界が、セックスとクスリ(麻薬ではなく、ハイミナール等の睡眠薬である)が蔓延していたことを暴露したとんでもない本だが、この176ページにさらにとんでもないことが書かれている。
東宝のプロデューサーだった藤本真澄について書かれたもので、彼の告白は、
「原節子に、実は惚れてたンだよ、昔だけどね。できたら結婚したいなんて若気の至で思ったンだが、その時、ホラ、熊谷久虎。
知ってるだろう、姉さんの旦那さ。あの右翼野郎と出来ているってきいてね、それで、あきらめたのさ」
まるで、羽仁進が、左幸子と結婚していながら、彼女が撮影で日本を離れた隙に、左の妹・額村喜美子とできて、結局再婚してしまった事件のようではないか。
藤本真澄が原節子に惚れていたのはいつのことかよくわからないが、互いの年齢から考えれば、戦時中くらいのことだろう。
この白坂への告白は、藤本の1979年の死の前年のことで、すでにガンで余命はいくばくもないことを本人が知っていたときなので、嘘ではないだろう。
あの天女のような原節子の美しい微笑の影には、実の姉の夫との不倫という深い苦悩があったのである。
そう考えると、原節子は大根役者にように言われることもあったが、随分と演技をしていた役者だったということになる。
コメント
喜多見
引退表明後 鎌倉に隠棲するまえ(昭和40年前後)だつたが
住まいが世田谷区喜多見町(砧の東宝撮影所も近く)にあつた
職場が同じ喜多見町内にあつたので仕事の往き帰りに家の前を何度か通つた
小田急線に近い喜多見の奥まつたところで
二階建ての(木造かRCだつたか忘れたが)大女優の家とは見えない簡素なたたずまいだつた
周りの垣根も低く首をちよつと伸ばせば居室が見わたせるくらいで
「会田」か「熊谷」だつたか表札がかかつていた
この辺りでは ここが原節子の住まいであつたことはよく知られていた
原節子と熊井久虎
原節子は熊谷久虎が日活時代に映画に引き入れたことで女優になっており、「新しき土」のドイツ公開時にもいっしょに行っています。熊谷の死とともに引退して伝説の人となったようです。当然、藤本真澄氏が耳にしたような風聞はあっても不思議ではないでしょう。それが事実かどうかはまた議論の余地があるところだと思います。でも私としては、原節子という人をそのような関心や詮索の対象としたくはありません。あの美しい姿を私たちが今も変わらないイメージで心にとどめているのですから。
なお、原節子を大根というのは、当時の東宝に彼女を生かせる監督が少なかったせいであると思います。成瀬巳喜男、小津安二郎、木下恵介、今井正といった監督の作品の原節子は素晴らしいものですし、渡辺邦男監督の映画も特筆ものでしょう。倉田文人の「ノンちゃん雲に乗る」も重要な作品です。そして稲垣浩監督の「日本誕生」では天照大神というとんでもない役を演じています。このような女優が他にいるでしょうか。小津安二郎はをのような彼女の才能を見逃すことなく評価した人です。
しかし黒澤明は最悪です。そういったことを、逆に彼女は映し出す鏡のようなものではないでしょうか。
原節子をおとしめているのではなく
熊谷と原の風聞は、原節子の、あの美しい微笑の裏には、実は深い悲しみや苦しみもあったとすると、逆にすごい役者だと思えます。
黒澤の『わが青春に悔いなし』については、また別に書きます。
「うみがめの 」は、いつも見ています。
今後もどうぞよろしくお願いします。