先週は、いろいろな人と会って飲んだが、その中で出たのが、安倍晋三首相の言動のひどさだった。
その原因は、彼は小学校から一度も公教育を受けていないからではないか、となった。
麻生太郎もそうだが、彼らのようなエリートが私立の学校で生きてゆけば、必ず周囲に取り巻きができる。
そして、お取り巻きによって絶えず「ゴマ」すられる生活で育つことになり、誰もご主人様に文句を言ったり、反論したりすることはなくなる。
他人の意見を聞くことのない人間は、そうしてできていく。
そして、安倍晋三で興味深いのは、自分の側近に、非エリートの苦労人を選ぶことである。
現在の官房長官の菅氏は、秋田から出てきて苦労して市会議員になった方だし、また以前安倍氏が官房長官だった時に秘書官だった人間に井上義之氏がいる。
彼は、小田原に生まれ、苦学して国鉄職員になり、その後の民営化の人事交流で総理府に入り、安倍官房長官の秘書官となり、拉致問題の対応で活躍された。
現在は、みんなの党の国会議員になっているが、このような井上氏をかつては重用したこともあったのであり、それは安倍晋三氏の興味深い傾向だと思う。
多分、それは一種の補償意識だと言えるだろう。
一方、今上天皇は、常に現在の憲法の精神である「反戦と民主主義」の下で行動しているように見える。
それは戦後の昭和天皇も同じで、歴代の自民党内閣が核武装しようとしたのにも関わらず、一度もできなかったのは、昭和天皇の意思である。
なぜなら、日本国憲法で天皇制は保持されたが、それは平和主義と民主主義とのバーターだったからである。
そのことを安倍晋三はきちんと理解しているのだろうか、非常に疑問に思う。