多分、見るのは1970年代に横浜のシネマ・ジャック、NHKBSなので、今回が3回目だと思うが、非常に感心した。
古典的名作と言うべきだっろう。今回は、デジタルリマスター版なので、画面が非常に鮮明できれいである。撮影は大映でも京都の宮川一夫。
黛敏郎の音楽も凄い。電子音で、これについては、公開された時に、津村秀夫から「映画は良いが、音楽がひどい」と批判され、黛が怒って新聞に反論した。
「私は、溝口健二監督から、映像を冷笑するような音楽を付けてくれ」と言われたので、書いたのだと反論し、これは黛の完勝になる。
ともかく全体に溝口健二が、作品を冷笑しているような、冷静なリアリズムで人物をじっと見つめているのが凄い。
吉原の赤線の店・夢の里の女たちの話で、木暮三千代、三益愛子、町田博子の年増娼婦に交じって若尾文子は、元は疑獄で捕まった父親の保釈金欲しさに始めたというが、夜の商売の他、女たちやあらゆる人間に金を貸していてせっせと金を貯めている。
そこに神戸から京マチ子のミッキーという若い女が来て、町田博子の客を奪ったりする。
最後、若尾は、結婚を餌に騙していたメリヤス屋の親父に首を絞められる大捕り物騒ぎがあるが死なず、借金を踏み倒して町から逃げた洋品屋の十朱久雄の店を肩代わりして店主になる。
店の店主のお父さん・進藤英太郎が心配していた、売春防止法は、国会で成立せず、流れて女たちもとりあえず安堵したところで終わり。
この進藤英太郎の演説が凄い、「我々は、国がやらないことを代わってやっている社会事業だ」というのだ。
誠に凄い逆転した論理である。
溝口作品としては、非常に淡々としていて、これが溝口映画なの、と思うが、この時すでに相当に体は良くなかったようだ。
だが、その分リアリズムは逆に凄い。因みに、この作品は全く評価されず、キネマ旬報のベストテンでは、15位である。
角川シネマ新宿 昔の新宿文化である。
コメント
息子がお店へ会いに来たが、ユメ子は会うのを躊躇った.
『背広の一着も作ってやらなくちゃ』、息子が返った後、ユメ子はこう言って、もう一仕事頑張ろうと、店の外に出て客引きを始めたのだが、その姿を物陰から見ていた息子は、泣きじゃくって帰って行った.
息子のために頑張って仕事をしようとする母親の姿は間違っていないはずだが、けれども母親が売春婦をしているという事実は、年頃の子供にとって許容できない出来事だった.
さて、売春宿の主人の言葉、正しいように思えるけれど、本当に正しいかどうか?
あるいは、言っていることが正しくても、売春婦の上前をはねる商売を、正しい仕事と言えるのか?
こう考えると、彼の言葉を訂正する必要があるのが分ります.
『野党の奴等、売春婦は日本の恥だと言いやがる』
->『売春をしなければ生きて行くことが出来ない人間が居ることは、日本の恥である』
『俺達は、国の代わりに社会事業をやっているんだ』
->『国が弱者のために、きちんと社会事業をやれ』
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同じ頃、五所平之助が『たけくらべ』を撮っています.
こちらは、『決して褒められる仕事ではない』事を、売春を行っている人達自身が、自覚しなければならないのだと描いています.