NHKBSでアメリカにいる文革経験者のインタビューが放送された。
文革は、正確にはプロレタリア文化大革命と言い、中国の人は「プロ文革」とよく言っていた。
横浜市国際室にいたとき、中国担当で横浜市の友好都市上海市との交流もやっていたので、その間に中国へは4回行き、また毎年代表団を受け入れていた。
食事の時など、中国の人が苦々しげに回想して話すのは、プロ文革中のことだった。
私が最初に中国に行ったのは1989年で、この時は市会議長の随行だった。この時代は、文革は終了していたが、まだ鄧小平時代ではなく、華国鋒時代で、町中には毛沢東の肖像と並び、スターリンの像もあった。
この時よく言われたのは、「4人組」の悪口だったが、その後中国に行くと聞かさるようになったのは、自分たちの文革中のことだった。
多分、1990年代のことだと思うが、上海に行き、翌年に行う事業の打ち合わせをした時、上海市の担当者の家に招待された。
そこは戦前の建物だがスペイン風の高級な家だった。要は、上海市の担当者の父親はもともと市の幹部で、元々は法学の教授だったとのことだった。
そして、文革時代はチベットに流されていたとのことだったが、その時は元に戻り、上海市の公安局長をしているとのことだった。
文化大革命が、1950年代末の大躍進政策の失敗で、実権を失った毛沢東の権力回復のための運動であったことは明らかになっている。
だが、問題はなぜ、あのような愚かな運動が実際におきてしまったかである。
一番大きな原因は、毛沢東に対し、劉少奇、鄧小平ら実務派が、理論形成を怠っていて、「毛沢東理論」に対する有効な反撃理論を持っていなかったことである。
彼ら実務派は、論より証拠で、社会が良くなっていき、生活が改良されれば民衆は、実務派の正しさを理解すると思っていただろう。
だが、民衆は時として、パンよりも理論を求めることがあるものなのだ。
この紅衛兵による運動は、先日見た劇『るつぼ』に描かれた、近代以前の「魔女狩り」にも類似していたと思う。
それにしてもおかしなのは、毛沢東という中国の最高権力者が、「革命を起こす」という矛盾だった。
それは、日本の安倍晋三首相の「日本を取り戻す」のスローガンのおかしさとの同様のものだと思う。
なぜななら、戦後の日本の大部分の期間は自民党の政権下で、その結果が「日本を取り戻す」としたら、一体自民党の政権はなにをやってきたのかとなるからである。