川崎市民ミュージアムの今月は、映画監督松本俊夫特集。
この日は、1960年代初頭の作品が上映された。
どちらも、PR映画で、前者は関西電力、後者は東洋レーヨン、カラー・シネスコ作品。
前者は、きわめて抽象的な作品で、戦後日本の経済復興と電力需要の増加、送電機能の拡充を表現する。
後者は、一人の男をめぐり様々なナイロン製品が展開される。
夢のような、意識と無意識の中間のような、シンポジウムの中で松本自身が「半意識」と言っていたが、幻想的な映像が展開される。
松本俊夫は、私は高校1年のとき『映像の発見』を偶然に買い、ほとんど暗記するほどの強い影響を受けた。
だが、その2年後実際に『安保条約』を見て、内容に唖然とした。
「この程度の監督なの」
さらに『石の詩』やATGでの『修羅』等を見たが、大して感心しなかった。
だが、昨年フィルム・センターで彼の第1作『銀輪』を見て驚いた。
多様な映像的テクニック、さらに最後のシーンでの「自転車の大空への飛翔。
言うまでなく、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の最後のシーンである。
シンポジウム(松本俊夫、作曲家湯浅譲二ら)で聞き驚いたのが、松本監督の2作品は、試写以降に全く上映されたことがなく、当の松本と音楽の湯浅譲二氏のお二人も40年ぶりに見たと言う。
それは、当時の記録、PR映画では普通のことだったのか、それとも松本俊夫だけのことだったのか。
『白い長い線の記録』では、カットされているシーンがあり、逆に冒頭「これは映画詩(シネ・ポエム)である」との説明が付いていたが、監督のものではなく、製作者(日本映画新社)が付けたものらしいこと。
カットされたシーンとは、この映画の唯一の資料であった、人の顔が電球らしきものの前に浮かんでいるスチール写真の場面がなかったことで、他にも原爆の後、ラッキー・ストライクの箱のカットがなくなっているそうだ。
さて、『銀輪』は、自転車の海外輸出拡大を目的とした映画である。
国内では上映されたことはなくても、海外では盛んに上映されたと思われ、スピルバーグが、『銀輪』を見た可能性は充分にあるだろう。
彼が松本の『銀輪』を見て、あのシーンを構想した可能性は充分にある。
松本は、いずれ世界で映画史的に再評価される監督である。