松林宗恵88歳で、まだまだお元気

阿佐ヶ谷のラピュタで松林宗恵監督特集が始まり、最初の作品『東京のえくぼ』の上映後、松林監督ご本人が挨拶された。
「監督特集というのは、普通は死んでからされるものでしょうが、このとおり88歳、何の役にも立っていませんが、まだ生きています」と大変お元気だった。

『東京のえくぼ』は、松林監督の第1作目で、昭和27年上原謙と丹阿弥谷津子の共演。
バスのなかでスリと間違えられたのが上原で、掏られたの丹阿弥。
いつもの通例だが、上原は丹阿弥が就職した会社の社長と分かる。

上原は、紀伊国屋物産の5代目の若社長で「めくら判」ばかりを押させられている社長業が嫌になり、ついには下町の丹阿弥の家に逃亡してしまう。
会社は、社長が行方不明で大騒ぎ。
専務が古川禄波で、バーバル・ギャグのオンパレード。
丹阿弥の家の缶詰工場の職工(当時はこう言った)の父親は柳家金語郎、母は清川虹子。
清川は、ダンサーだったので当然だが、金語郎も清川とスクエア・ダンスを踊ると、リズム感が良く上手いのには感心した。金語郎もエノケンと同様にジャズ・バンドを持っていたくらいで、音感が良いのである。

金語郎に上原は、「人は他人を信用し、任せないと生きていけない。我が家もかかあ部長に財布を任せ、私は何も知らずそれで良い」と言われ、めくら判を押すことは部下を信頼することだと悟り、社長業に復帰し、丹阿弥と結ばれるというもの。

脚本は、小国英雄で、『王子と乞食』をヒントにしたもので、東映の中村錦之助の『一心太助』シリーズにも同様の話があった。
素朴だが、なかなか面白く、芯の通った作品だった。
高峰秀子と小林圭樹が特別出演の警察官。

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コメント

  1. КРАСНАЯ СОСНА より:

    上原謙の相手役は丹阿弥谷津子だが、個人的には久慈あさみ、草笛光子、三浦光子あたりであって欲しかった。

    なんてチャーミングで微笑(ほほえ)ましい映画なんだろう。

    このような心が救われる癒し系の日本映画が、昭和27年に公開されていたとは(なんとYOU TUBEで無料視聴が出来るのですよ。皆さんも是非ご覧下さい)。

    時代劇では将軍や大名・殿さまと瓜二つの町民が立場を入れ替わり、市井で次々と騒動を巻き起こすというシチュエーションはよく見られるが、現代劇では珍しい。

    あえて言えば、内田吐夢の「汗」(1930年)と同じような設定、こちらも名作。

    「さすらい」様が挙げているのは、家光と一心太助(中村錦之助二役)が なり変わる「家光と彦左と一心太助」ですね。

    若様が身分を隠して庶民の中で起居を共にするパターンは、「殿さま弥次喜多」(東映 中村錦之助・賀津雄主演)など沢山ありますが、一番良くできていたと思ったのは「江戸っ子祭」(大映 58年)で、一心太助(長谷川一夫)が竹千代・家光(川口浩)を引き取り、魚屋の小僧として修業させるという しろ物。

    溝口、小津、木下、黒澤だけが日本の監督じゃなく、日本には松林宗惠という多才で作域が広い(何でも屋の)監督がいるんだよ、と言いたくなる。

    この作品や「婚約指輪 エンゲージリング」(石原慎太郎主演)のような しゃれてソフィスティケートな作品を軽く手掛けたり、『人間魚雷回天』(戦後戦争映画の白眉である)をはじめとする数々の良心的な戦争ものに腕を振るったり、極め付きは「社長シリーズ」で日本喜劇映画の金字塔を成し遂げた。

    「社長シリーズ」では「森繁」「加東」「桂樹」「のり平」など、多くのファン今でも出演者の方はよく覚えているが、その大半を監督したのは「松林宗惠」だとぱっと口に出せる人は少ないのではないか。

    「社長シリーズ」は「男はつらいよシリーズ」に匹敵する日本映画の宝です。

    山田洋次はこれから永遠に語り続けられるでしょうが、松林宗惠はいつしか忘れ去られるのではないかと危惧しています。

    「さすらい」様にあられてはこれからも、優れた作品を残しながら、忘れられつつある名監督を発掘してください。

  2. 以前は、何でも撮れる「職人的監督」がいたもので、というよりもプロの監督としては、何でも撮れることが最低の条件だったわけです。東宝でも、松林の他、杉江敏男なども多彩なジャンルの作品を撮っています。しかし、そのことが逆にただの職人との評価になり、黒澤などと際立った評価の違いになっているのはおかしなことだと私も思います。
    大映の森一生、日活の野村孝や野口博志や山崎徳次郎などもそうで、もともと鈴木清順も職人的監督とみなされていたと思います。