『狂宴』

この日、上映されたのは、かなり不思議なフィルムだった。

映画『狂宴』は、昔の記録では製作は、近代映画協会、つまり新藤兼人が吉村公三郎と作り、今も存続している独立プロの名になっている。

だが、この日上映されたフィルムに、近代映画協会の母子のブロンズ像のタイトルはなく、サバンナ社となっていた。

これはどういうことなのだろうか、私が想像するに、主演の望月優子がカギだろうと思う。

望月優子は、「日本のお母さん女優」と呼ばれ、数多くの名作に出ていたが、1971年日本社会党から参議院議員選挙に出て、全国区で3位で当選する。

非常に真面目な方だったので、所謂タレント議員とは異なり、きちんと議員活動をされていたようだが、1977年は労組等の支援がなく落選してしまう。

この間の彼女の選挙運動の一環として、この映画は再編集されて各地で上映されたものではないかと思う。

その理由は、作品の冒頭とラストに、多分望月優子の声で、

「この映画のようにアメリカは、朝鮮侵略の後方基地として日本を利用したように、今はベトナム戦争の基地にしている」とのナレーションが流れる。

そこには、新たにベトナム戦争での映像がついていた。

朝鮮戦争をアメリカの侵略とすることは今日では誤謬だが、ベトナム戦争反対運動は大きな盛り上がっていたので、それに便乗し運動したのだろう。

話は、朝鮮戦争の最中の奈良で、米軍基地が出来て、それに便乗し、慰安婦、つまりパンパンのクラブを開く三島雅夫と望月優子夫婦の話。

一方、本来の農業に身を入れろと言うのが、横山運平だが、その孫娘の渡辺美佐子は、高校の修学旅行で仙台に行き、そこで米兵に暴行されてしまう。

そして、沼に入って渡辺美佐子は自殺してしまう。

監督は関川秀雄、脚本は近代映画協会系の片岡薫、俳優は東野英治郎、三戸部スエなど俳優座の人が多い。

ひどく誇張されて乱暴な演出であり、望月や三島の演技もあまりに極端である。

望月優子は、無学で貧乏、そして不幸の象徴のような女優だったが、木下恵介の大傑作『日本の悲劇』だけでも、日本の映画史に永遠に残るだろう。

因みに、この映画の製作の具快万という人は、朝鮮系の人だったようだ。

川崎市民ミュージアム

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